有島武郎の生涯と代表作
愛は惜しみなく
- 生没
- 1878–1923
- 出身
- 東京都
- 文学史
- 白樺派
- Wikipedia
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略歴
1878年(明治11年)、東京・小石川に大蔵官僚の長男として生まれる。学習院を経て札幌農学校に学び、在学中に内村鑑三の影響でキリスト教の洗礼を受けた。卒業後アメリカに留学してホイットマンやイプセン、社会主義思想に触れ、信仰への懐疑を深めて帰国する。武者小路実篤・志賀直哉らの同人誌「白樺」に加わり、人道主義を掲げる白樺派の作家として出発。1917年(大正6年)、北海道の小作人の野性と敗北を描いた「カインの末裔」を発表し、続いて長編「或る女」で情熱的な女性の生涯を描いて近代文学に大きな足跡を残した。評論「惜みなく愛は奪ふ」では独自の愛の思想を説き、晩年は所有する北海道の農場を小作人に無償で解放するなど理想を実践した。1923年(大正12年)、人妻の記者・波多野秋子とともに軽井沢の別荘で情死し、45歳で世を去った。「生れ出づる悩み」では、生活を支える労働と芸術への願いの間に立つ若者を描いた。1922年の「宣言一つ」には、有産階級の作家として労働者の運動にどう関わるかという問いが表れている。創作と社会的な実践の両方で、自らの立場を問い続けた。
収録作品
- 碁石を呑んだ八っちゃん
- かんかん虫 1910年(明治43年)10月
- お末の死 1914年(大正3年)1月
- カインの末裔 1917年(大正6年)7月
- クララの出家 1917年(大正6年)9月
- 小さき者へ 1918年(大正7年)1月
- 生れ出づる悩み 1918年(大正7年)3月
- 小さき影 1919年(大正8年)1月
- 或る女 1919年(大正8年)3月
- 或る女(前編) 1919年(大正8年)3月
- 或る女(後編) 1919年(大正8年)6月
- 惜みなく愛は奪う 1920年(大正9年)6月
- 一房の葡萄 1920年(大正9年)8月
- 星座 1921年(大正10年)7月
- 溺れかけた兄妹 1921年(大正10年)7月
- 火事とポチ 1922年(大正11年)
- 宣言一つ 1922年(大正11年)1月
- ドモ又の死 1922年(大正11年)10月
- 燕と王子 1926年(昭和元年)4月