倉田百三の生涯と代表作
青春の求道者
- 生没
- 1891–1943
- 出身
- 広島県
- Wikipedia
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略歴
1891年(明治24年)、広島県比婆郡庄原村(現・庄原市)の呉服商の家に生まれる。三次中学を首席で卒業して第一高等学校に進んだが、在学中に西田幾多郎「善の研究」に感銘を受けて京都に西田を訪ね、文科へ転じた。1913年(大正2年)に肺結核を発病して一高を中退し、以後は療養と思索の日々を送る。1915年(大正4年)には妹とともに京都の一燈園に入り、深い信仰生活を体験した。1917年(大正6年)に刊行した戯曲「出家とその弟子」は、親鸞とその弟子唯円を通して恋と信仰の相剋を描き、大正年間に十四万部を売るベストセラーとなってロマン・ロランにも賞賛された。評論集「愛と認識との出発」とあわせ、大正の青年層に絶大な影響を与えた思想的作家である。昭和期には親鸞研究を通じて日本主義に傾斜した。1943年(昭和18年)、肋骨カリエスのため東京・大森の自宅で死去。51歳。
収録作品
- 出家とその弟子 1916年(大正5年)11月
- 俊寛 1919年(大正8年)12月
- 愛と認識との出発 1921年(大正10年)
- 『出家とその弟子』の追憶 1937年(昭和12年)1月