「いき」の構造(九鬼周造)のあらすじ・登場人物
媚態・意気地・諦め、いきの解剖
- 文字数
- 49,676字
- 読了目安
- 約1時間39分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
江戸の遊里に育った美意識「いき」を、ヨーロッパの現象学の方法で徹底的に分析した日本文化論の古典。「いき」は媚態・意気地・諦めという三つの契機からなると説き、縞柄や色合い、しぐさや建築にまでその構造をたどってゆく。九鬼周造がパリ留学中に構想し、帰国後の1930年に「思想」誌へ発表した。
あらすじ
「『いき』という現象はいかなる構造をもっているか」。九鬼はまず、「いき」が他の言語に訳しえない、日本民族に固有の意味であることを確かめる。民族の生きた存在が言語と意味を創造するのだから、「いき」を理解することはこの民族の存在様態を理解することにほかならない。続く「内包的構造」の章で、九鬼は「いき」を三つの契機に分解する。第一は異性への「媚態」——二元的可能性を保ちつづける緊張である。第二は江戸っ子の意地、武士道の理想化された「意気地」。第三は仏教的世界観に裏づけられた、垢抜けした「諦め」。この三つが結びついたとき「いき」が成立し、そのどれかを欠けば「甘さ」「野暮」「渋味」「上品」などの隣接概念に移る。「外延的構造」では、上品/下品、派手/地味、意気/野暮、渋味/甘味という座標のなかに「いき」を位置づける直方体の図式が示される。さらに「自然的表現」では、姿勢のわずかな崩し、薄化粧、湯上り姿、投げやりな眼つきまでが分析され、「芸術的表現」では、縦縞の意匠、茶色や鼠色といった色合い、床の間や襖の意匠にまで「いき」の構造が読みとられてゆく。結論において九鬼は、「いき」とはわが民族に独自な「生き」かたの一つであり、「意気」が原本的意味において「生きる」ことなのだと述べて筆を置く。
冒頭部(原文より)
この書は雑誌『思想』第九十二号および第九十三号(昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。 生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。
「「いき」の構造」九鬼周造(青空文庫)
末尾部(原文より)
さて、「息」は「意気ざし」の形で、「行」は「意気方」と「心意気」の形で、いずれも「生きる」ことの第二の意味を予料している。それは精神的に「生きる」ことである。「いき」の形相因たる「意気地」と「諦め」とは、この意味の「生きる」ことに根ざしている。そうして、「息」および「行」は、「意気」の地平に高められたときに、「生」の原本性に帰ったのである。換言すれば、「意気」が原本的意味において「生きる」ことである。
「「いき」の構造」九鬼周造(青空文庫)
名文
我々は最後に、この豊かな特彩をもつ意識現象としての「いき」、理想性と非現実性とによって自己の存在を実現する媚態としての「いき」を定義して「垢抜して(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)」ということができないであろうか。
江戸の美意識「いき」を媚態・意気地・諦めの三つの契機から分析した末に示される定義。日本独自の美的感覚を哲学の言葉で捉えようとした試みとして名高い。
原文を読む
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