憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず(吉野作造)のあらすじ・登場人物
民本主義を説いた大正の宣言
- 文字数
- 85,692字
- 読了目安
- 約2時間51分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
政治学者の吉野作造が1916年(大正5年)1月号の『中央公論』に発表した長編の論文。前年末の全国中学校長会議で文相が「立憲思想の養成」を訓示した出来事を糸口に、立憲政治とは何か、それを実のあるものにするには何が要るかを順を追って論じる。中心にあるのは、デモクラシーの訳語として吉野が用いた「民本主義」の考え方で、主権が法理上どこにあるかを問う「民主主義」とは区別し、主権を運用する目的と決定の拠りどころを民衆に置く主義として説明する。憲法の要件、代議政治、選挙権の拡張、責任内閣、上下両院の関係まで、英米や欧州諸国の制度を引きながら具体的に検討し、予想される批判にも一つずつ答えていく。漢文訓読調の硬い文体ながら論の運びは明快で、大正デモクラシーを代表する論文として日本史の教科書にも名が挙がる。
あらすじ
吉野作造はまず、文部大臣が中学校長に立憲思想の養成を求めた出来事を取り上げ、それにはまず立憲政治そのものの正しい理解が要ると説き起こす。序言では、憲政の成否は制度の運用だけでなく国民の智徳にかかっているとし、アメリカとメキシコの対比を例に国民の教養の大切さを示す。続いて、近代の憲法は普通の法律より高い効力を持ち、人民の権利の保障・三権分立・民選議院制度を欠かせない要件とすることを整理し、憲政の「有終の美」とは、憲法の精神に従って政治を運用することだと述べる。その精神の根柢にあるのが民本主義である。吉野は、主権が君主にあるか人民にあるかを論じる「民主主義」と、主権の所在を問わず、その運用にあたって一般民衆の利福と意向を重んじる「民本主義」とを区別し、後者は君主国の日本でも成り立つとする。民本主義の内容は二つあり、一つは政治の目的が一般民衆の利益幸福にあること、もう一つは政策の最終決定を民衆の意向に置くことである。後者に向けられる、君主大権に反する、民衆は愚かである、といった批判に一つずつ反論したうえで、その実現の方法として代議政治を論じる。人民と議員の関係では、選挙道徳の鼓吹、取締規則の厳正な励行、選挙権の拡張を求め、議会と政府の関係では、議会の多数に基礎を置く責任内閣制を憲政に欠かせないものとする。最後に英国とオーストラリアの上下両院の衝突解決の仕組みを比べ、民本主義の徹底とは民選議院を政治の中心勢力とすることだと結論し、議員の奮起と、選挙を誤らない国民の自覚、元老らの協力を求めて論を閉じる。
冒頭部(原文より)
去年十二月一日より東京に開かれたる全国中学校長会議において、高田新文相が特に訓示を与えて立憲思想養成の急務を説きたる事と、水戸中学校長菊池謙二郎氏が起って大隈内閣の居据りと立憲思想との関係の説明を求めて文相に肉薄した事とは、著しく世間の耳目を惹いた。訓示の一節に曰く。
「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」吉野作造(青空文庫)
末尾部(原文より)
今日の有様ではいかに下院が威張っても駄目である。いかに下院を重んず可しとの説を叫んでも実際の勢力はこれに具わるまい。この点において我々は一方には大いに議員諸士の自重奮励を求め、また天下の国民に向っては、選挙にその途を謬らず且つ自家選出の代議士を直接間接に鞭撻して怠らざらんことを切望せざるを得ない。もしそれ元老その他の高級政客に向っては、超然として高処し、徒に下院を罵倒して民衆の代表的勢力を蔑視するの態度を執る事なく、彼らもまた国民として我々と同様に、国家のために下院をして重からしむる所以の途に協力せられん事を希望せざるを得ない。
「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」吉野作造(青空文庫)
名文
いわゆる民本主義とは、法律の理論上主権の何人に在りやということは措いてこれを問わず、ただその主権を行用するに当って、主権者は須らく一般民衆の利福並びに意嚮を重んずるを方針とす可しという主義である。
吉野作造が『中央公論』(1916年)に発表した論文の中心となる定義。主権の所在は問わず、政治は民衆の利益と意向を重んじるべきだとして、君主制の下での民主政治の道を開いた。大正デモクラシーを象徴する一文。
原文を読む
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