柴田昌吉の生涯と代表作
英和辞書を編んだ英学者
- 生没
- 1842–1901
- 出身
- 長崎県
- Wikipedia
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略歴
1842年(天保12年)、長崎の地役人の家に生まれる。活字印刷の先駆者本木昌造は兄にあたる。長崎の英語伝習所で英語を学び、長崎の英語の学校で教えて、宣教師フルベッキとも同僚となった。幕末には幕府の命で通訳として江戸や京都に赴き、明治維新後は外務省に勤める。子安峻とともに英和辞典『英和字彙』(1873年)を編み、「柴田辞書」と呼ばれて広く使われた。この辞書を出した日就社は読売新聞の前身で、柴田はその創業者の一人に数えられる。1874年には、イギリスの法律家フィリモアの国際法の著作から宗教を論じた章を抄訳して『明六雑誌』に寄せている。晩年は長崎に戻って英語学校を開き、多くの生徒を集めた。1901年(明治34年)、59歳で死去。
翻訳・現代語訳
- 「ヒリモア」万国公法の内宗教を論ずる章(撮要) 1874年(明治7年)4月