菅野徳助の生涯と代表作

英文学を若者へ

生没
1870–1915
出身
宮城県
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略歴

1870年(明治3年)、宮城県石巻の呉服商の家に生まれる。仙台の商店で働いたのち、1892年に上京して国民英学会で英語と英文学を学び、首席で卒業して同会の講師となった。1902年にアメリカへ渡り、イリノイ州の大学などで学ぶ。帰国後は早稲田大学英文科の教授を務め、英語教育に力を注いだ。奈倉次郎とともに三省堂の「青年英文学叢書」で、テニソン・アーヴィング・スウィフトらの英米文学を訳注付きで紹介し、学生たちが原文で文学に親しむ道を開いた。有朋堂文庫の立案者としても知られ、シェイクスピアの翻訳『悲劇オセロ』も手がける。1915年(大正4年)に死去した。

翻訳・現代語訳