高楠順次郎の生涯と代表作
大蔵経を世に送った碩学
- 生没
- 1866–1945
- 出身
- 広島県
- Wikipedia
- Wikipedia
略歴
1866年(慶応2年)、備後国御調郡(現・広島県三原市)の農家に生まれる。小学校の教員を経て西本願寺の普通教校(現・龍谷大学)に学び、在学中に仲間と禁酒運動を起こして『反省会雑誌』(のちの『中央公論』)を創刊した。神戸の高楠家の養子となってイギリスに留学し、オックスフォード大学でマックス・ミュラーに師事したのち、ドイツやフランスでも学ぶ。帰国後は東京帝国大学でサンスクリット学の講座を開き、多くの仏教学者を育てた。東京外国語学校の校長を兼ねたほか、武蔵野女子学院を創立し、東洋大学の学長も務めている。大正末から仏典の集成『大正新脩大蔵経』全85巻の刊行を率い、1944年に文化勲章を受章した。イギリスのゴルドン夫人が唱えた景教と真言密教の関係についての説を訳したこともある。1945年(昭和20年)、78歳で死去。
翻訳・現代語訳
- 弘法大師と景教との関係 1909年(明治42年)9月