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弘法大師と景教との関係(ゴルドン)のあらすじ・登場人物

空海は景教碑を見たか

  • 歴史
  • 翻訳

ゴルドン 訳者 高楠順次郎 1909年(明治42年)9月

文字数
7,960字
読了目安
約16分
表記
旧字旧仮名

この作品について

日本に滞在して仏教とキリスト教の共通点を探ったイギリスの女性研究者エリザベス・アンナ・ゴルドンが、弘法大師空海と景教(唐代の中国に伝わったネストリウス派のキリスト教)の関係について論じた文章を、仏教学者の高楠順次郎が訳したもの。副題は「一名、物言ふ石、教ふる石」。1909年(明治42年)9月、丙午出版社から『弘法大師と景教』として刊行された。厳島や京都で見た大師ゆかりの火を手がかりに、入唐した空海が長安の「大秦景教流行中国碑」に触れたのではないかと推論する。のちの研究で確かめられた説ではないが、明治末の東西の宗教交流の空気を伝える文章である。

あらすじ

冒頭には、ゴルドン夫人が老いた身で厳島・讃岐・高野山を巡ったことを記す訳者の短い序がある。筆者は前年の夏、日本各地で弘法大師の感化がいまも人々の暮らしに生きていることに強い印象を受けたと述べる。厳島の山頂で千百年燃え続けるという大師ゆかりの火を見て、キリスト教の降誕祭の薪との思想のつながりを感じ、京都の盆の送り火にもエジプトの『死者の書』との関係を思い描く。そして804年に入唐した空海が長安で恵果から密教を受けたこと、その二十数年前に長安に建てられた「大秦景教流行中国碑」の内容と、景教が唐に伝わった歴史を詳しく紹介する。碑文の撰者景浄が般若三蔵とともに仏典の翻訳にあたった記録があり、空海もその般若に梵語を学んだことから、空海が景教の寺院や碑を目にし、景浄から教えを聞いた可能性は高いと論じる。大日如来の教えや火祭り、嵯峨天皇への灌頂を景教の教義や洗礼になぞらえ、碑が唐の破仏の際に土に埋もれ、明代に掘り出されたことを「物言ふ石」の運命として語り、聖書の「工匠の棄てたる石は家の隅の礎石となれり」の句を引いて結ぶ。

冒頭部(原文より)

 佛教に關する予が智識は至て乏しく、唯日本在住の間に於て斷片的に學得し、且つ有名なる支那學者に就き、法華の法門を研究したるが、今某大徳の需に應じて、覺束なくも一文を草して世に公にせんと欲する所以なり、この支那學者は曾て馬鳴の起信論を譯し、その進歩せる大乘教理と、耶蘇教義との間に於て驚くべき同似點を發見したり。予もまた佛教徒たる諸友の厚意によつて、佛耶の兩教義を比較し、其間に於て喜ぶべき思想の融和を認めたり。假令語句の間に於て全然同一なるものなく、且つ現時に於ては精確なる歴史上の連鎖を追跡すること不可能なる如きも、此兩者の間には眞正なる精神的連鎖の慥に存在せることを感ぜざるを得ず。今予は不幸にして此大問題に關し無智なりと雖も、益進で之を攻究し、一層深く教理に悟入せんことを希望して止まざることを茲に表白するものなり。

「弘法大師と景教との関係」ゴルドン(青空文庫)

末尾部(原文より)

 夫れ天意の秘密は得て知るべからず、かの景教碑は「物言ふ石」の資格として、日出處より遠來せる學問僧にその教を傳へ、能事終りて四十年の後一たび土中に埋もれ、凡八百年間無言の石たりしは亦奇と謂ふべし。佛國のポーチエーはこの碑文の疑ふべからざるを證明し、且想像して、此の碑文は多分紀元八百四十五年=會昌五年武宗破佛の亂に埋沒せられたるものなるべしと云へり。然るに千六百二十五年即、明の天啓五年に於て偶然に長安の郭外に於て工夫の爲に發堀せられ、その不朽の文字は再び眞理を宣揚し得るに到れり。  馬太傳二十一卷四十二耶蘇云はく 聖書に録せり、爾曹未だ之を讀まざるか。 「工匠の棄てたる石は、家の隅の礎石となれり、是れ主の行ひ玉へることにして、我れらの目に奇とする所なり。」と 是故に我れ爾曹に告げん、神の國を爾曹より奪ひ、その果を結ぶ民に與へらるべし。 この石の上に墜るものは壞れ、この石の上に墜ればその物碎かるべし。

「弘法大師と景教との関係」ゴルドン(青空文庫)

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原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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