吉川英治の名文

吉川英治の作品から、よく知られた一節を集めました。

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宮本武蔵

われ事において後悔せず

武蔵が旅の日誌に書きつけた誓いの言葉。はじめ「悔いまじ」と書き、それでは弱いと「後悔せず」に改める推敲の場面が描かれる。晩年の武蔵が記したとされる『独行道』の一条がもとになっている。

あれになろう、これに成ろうと焦心るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人がきめてくれる

「柳生様のようになろう」と言う弟子の伊織を、武蔵がたしなめる言葉。立身を焦るより、黙して動かぬ自分をつくれという教えは、本作の名言として広く引かれる。

もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中の一片の木の葉でしかない。なるようになッてしまえ。

関ヶ原の合戦の跡、屍の間に倒れた武蔵が心に思う場面。大きな時代の動きの前の無力感から、『宮本武蔵』の長い物語が始まる。

波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。

巌流島の決闘ののち、世間の噂を雑魚の泳ぎにたとえ、百尺下の水の深さは誰が知ろうかと結ぶ、『宮本武蔵』全編の結び。

それも、生やさしい切り方ではないのだ。わずかな木口であるが切り人の非凡な手の冴えが光っている。

柳生石舟斎が切った芍薬の枝を見て、武蔵がその切り口に達人の腕を見抜く。剣の境地を花の枝で語る名場面だ。

彼は、神を信じる。しかし、「さむらいの道」には、たのむ神などというものはない。神をも超えた絶対の道だと思う。

一乗寺下り松の決闘を前に、八大神社の鰐口に手をかけかけた武蔵が思い直す。神仏に頼らない覚悟が定まる一節だ。

今もって、未熟、不覚、いつまで、真の悟入ができたとも思われませぬ。――歩めば歩むほど、道は遠く深く、何やら、果てなき山を歩いている心地でございまする

久しぶりに会った沢庵に、武蔵が数年の修行を語る述懐。剣の道を果てのない山にたとえる求道者の言葉だ。

三国志

再び天にいう。われらここにあるの三名。同年同月同日に生まるるを希わず、願わくば同年同月同日に死なん

桃園で義兄弟の契りを結んだ劉備・関羽・張飛の誓い。張飛が杯を挙げて叫ぶ「同年同月同日に死なん」の一句は、三人の結束を象徴する「桃園の誓い」として知られる。

死せる孔明、生ける仲達を走らす

五丈原で諸葛孔明が亡くなったあと、魏の司馬懿(仲達)が蜀軍に翻弄される一章の題。死してなお敵を恐れさせた孔明の名将ぶりを象徴する故事成語。

単に尨大な治乱興亡を記述した戦記軍談の類でない所に、東洋人の血を大きく搏つ一種の諧調と音楽と色彩とがある。

吉川英治が『三国志』の序で、「三国志には、詩がある」と述べたあとの一文。抄訳によらず長篇で書いた理由がここにある。

我をして、天下の人に反かしむるとも、天下の人をして、我に反かしむるを休めよ

呂伯奢の一家を斬った曹操が、陳宮に言い放つ言葉。乱世の奸雄の本性を示す、三国志でも屈指の名台詞だ。

切ってはなたれた矢は笛の如く風に鳴って、一線、鮮やかに微光を描いて行ったが、カチッと、彼方で音がしたと思うと、戟の枝鍔は、星のように飛び散り、矢は砕けて、三つに折れた。

呂布が遠くの戟の枝鍔を射当てて、玄徳と紀霊の戦いを収める「轅門射戟」。弓の名手呂布の見せ場だ。

君と、予とだ。今、天下の英雄たり得るものは大言ではないが、予と足下の二人しかあるまい

酒を酌みつつ英雄を論じた曹操が、玄徳と自分を指さして言う。直後の雷鳴に玄徳は箸を落としてごまかす。煮酒論英雄の山場だ。

臥龍か、鳳雛か。そのうちの一人を得給えば、おそらく、天下は掌にあろう

司馬徽が流浪の玄徳に告げる言葉。臥龍は孔明、鳳雛は龐統のことで、ここから三顧の礼への道が開ける。

北に拠った曹操は、すなわち天の時を得たものであり、南の孫権は、地の利を占めているといえよう。将軍はよろしく人の和をもって、それに鼎足の象をとり、もって、天下三分の大気運を興すべきである

孔明が玄徳に説く「天下三分の計」。天の時・地の利・人の和で三国鼎立を描き、物語の大きな見取り図となる。

天すでに、この周瑜を地上に生ませ給いながら、何故また、孔明を地に生じ給えるや!

孔明に計略の先を越され続けた周瑜の、臨終の叫び。好敵手を得た才人の無念を伝える名高い一句だ。

隴を得て、またすぐ何か、蜀を望まん。わが軍の人馬も疲れている。まあ、もうすこし休息させる必要もあろう

漢中に入った曹操が、すぐ蜀へ攻め入れという進言を退ける言葉。「隴を得て蜀を望む」の故事をふまえる。

もし劉禅がよく帝たるの天質をそなえているものならば、御身が輔佐してくれればまことに歓ばしい。しかし、彼不才にして、帝王の器でない時は、丞相、君みずから蜀の帝となって、万民を治めよ

白帝城で死を前にした玄徳が孔明に後事を託す遺詔。孔明は床に頭を打ちつけて泣いた。

まだ二十七歳でしかなかった青年孔明が、農耕の余閑、草廬に抱いていた理想の実現であったのである。

篇外余録「諸葛菜」の書き出し。三国鼎立は孔明一人の胸から生まれたと、吉川英治が全巻を振り返って述べる。

ありがたい御意ですが、そこにお預かりおき下さい。ひと走り行って、華雄の首を引ッさげ帰り、お後で頂戴いたしますから

曹操が注いだ酒を置いて出陣する関羽。華雄の首を手に戻り、預けた杯をひと息に飲みほす。「温酒斬華雄」の場面だ。

もうすこしだ! この山を越えると、梅の林がある。――疾く参って梅林の木陰に憩い、思うさま梅の実をとれ。――梅の実をたたき落して喰え

炎暑の行軍で渇きに苦しむ兵を、曹操が梅林があると言って励ます。兵は唾をわかせて渇きを忘れた。「梅酸渇を医す」の故事だ。

――ああ、臥龍先生、その主を得たりといえども、惜しい哉、その時を得ず! その時を得ず!

孔明を太公望や張子房にも劣らぬと評した司馬徽が、去り際に天を仰いで嘆く。孔明の行く末を見通すような一言だ。

それへ来たものは、敵の総帥たる曹操ではないか。われこそは、劉皇叔の義弟、燕人張飛である。すみやかに寄って、いさぎよく勝負を決しろ

長坂の橋にひとり立つ張飛の大音声。その気迫に曹操の大軍が色を失い、引き返していく。

それ鶏の肋は、これを食らわんとするも肉なく、これを捨てんとするも捨て難き味あり、いま直面している戦は、あたかも肉なき鶏の肋を口にねぶるに似たりとの思し召かと拝察いたす。

曹操の夜の布令「鶏肋」を、楊修が撤退の意と読み解く。才気が災いを招く「鶏肋」の故事の場面だ。

先帝、創業いまだ半ばならずして、中道に崩せり。今天下三分し益州は疲弊す。これ誠に危急存亡の秋なり。

北伐を前に孔明が後主劉禅に奉った「出師の表」の冒頭。「危急存亡の秋」の出典として今も知られる。

いやいや、魏のほうが、はるかに美味もあるし、気候もよいから、べつに蜀を思い出すようなこともありません

魏へ移された劉禅が、蜀を懐かしまないかと問われて答える言葉。「此間楽しく蜀を思わず」の故事で知られる。

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吉川英治