二十歳のエチュード(原口統三)のあらすじ・登場人物
二十歳の誠実をめぐる断章
- 文字数
- 60,242字
- 読了目安
- 約2時間
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
旧制第一高等学校の学生だった原口統三が、1946年(昭和21年)の秋に書きつづった断章を、没後の1947年に一冊にまとめた遺稿集。一高の友人・橋本一明にあてた「訣別の辞に代えて」を前置きに、番号を振った短い断章を三冊のノートに分けて収める。ランボーをはじめ、ボードレール、ニーチェ、ヴェルレーヌらの言葉を掲げながら、表現することへの不信、自意識と誠実さ、芸術と人生の関係を、若い潔癖さで突きつめていく。慕っていた先輩の清岡卓行との交友、育った大連の街、母の思い出といった具体的な記憶も挟まれ、観念の文章に個人の声が混じる。箴言のような短い言い切りと、ときに長い独白が交互に現れる構成で、戦後まもない時期に多くの若い読者に読まれた。
あらすじ
冒頭の「訣別の辞に代えて」で、原口統三は九月末から書き殴ってきた三冊のノートを友人の橋本一明に託すと告げ、自分の思想を表現することは所詮弁解にすぎないと記す。続くエチュード(断章)では、いっさいの芸術を捨てた後に残された仕事は人生そのものを芸術とすることだったと告白し、認識とは生身を抉ることだと言い切る。断章はランボーへの傾倒を軸に、言葉で表現することへの不信と、それでも言葉で考えてしまう自分への苛立ちをくり返し問う。安全な場所から認識を語る人々を「臆病者」と罵る一方、自らの自意識が誠実さを偽り装うことにも目を向ける。先輩の清岡卓行を尊敬して過ごした日々、そのパイプや言葉の記憶、清岡とともに海辺で迎えた黎明の光景も書きとめられる。植民地の大連で育ち、祖国の山河を絵本でしか知らなかった少年時代、母に甘えた幼い日の思い出、「語らない日本」こそ母国の美しい姿だという思いも語られる。ノートが進むにつれ、詩を捨てたことと死を選ぶことが重ねて語られ、自らの二十年を「孤独なる詩」と呼んで立ち去ろうとする。最後の断章で彼は、誠実さは全き孤独の中にあるという箴言の前で筆を止め、「僕は最後まで誠実ではなかった」と謝罪して、赤城山で記した日付とともに文章を終える。
冒頭部(原文より)
「自己の思想を表現してみることは、所詮弁解にすぎない」 右の最後の反省と共に、僕はこの小さな三つのノートを、君の手に渡そうと思う。 長い間筆を捨てて来た僕が臨終の直前まで来て、まだ一度も試みたことのないこうした感想録を作らずにおれなかったのは、やはり弱気の蛆が湧いたためだろう。いつも罵倒していた「老耄れの繰り言」を、僕もまた実行したわけだ。九月の二十四日から今日まで、僕は寸暇も休まずに書き殴って来た。僕の心にはまだ書きつづけたい気があるし、これを整理して壮麗な文体で一つの作品を残したいとも思った。けれども、改むるに憚るなかれ。僕は今その意図を棄てねばならない。
「二十歳のエチュード」原口統三(青空文庫)
末尾部(原文より)
「表現は所詮自己を許容する量の多少のあらわれにすぎぬ」 「誠実さは常に全き孤独の中にある」 この箴言の前に、謙虚であろう。 それはこのエチュードを止めて抛り出すことだ。そして、僕をも含めてすべての人に貼りつけたレッテルをはがしてしまうことだ。 僕はもう自分を誠実であったとも言うまい。 沈黙の国に旅立つ前に、深く謝罪しよう。 「僕は最後まで誠実ではなかった」と。
「二十歳のエチュード」原口統三(青空文庫)
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