大和古寺風物誌(亀井勝一郎)のあらすじ・登場人物
仏は語るより拝むもの
- 文字数
- 108,723字
- 読了目安
- 約3時間37分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 奈良県
この作品について
亀井勝一郎が奈良の古寺と仏像を訪ねてつづった随筆集。1943年(昭和18年)に天理時報社から刊行され、のちに文章を加えて再刊された。斑鳩宮、法隆寺、中宮寺、法輪寺、薬師寺、唐招提寺、東大寺、新薬師寺の章を立て、救世観音や百済観音、中宮寺の思惟像、天寿国曼荼羅などを前に、昭和十年代の旅で得た感懐を記す。作者はあとがきで、自分は美術の専門家ではなく、仏像は語るものではなく拝むものだという立場で古仏に向き合ったと述べる。聖徳太子とその一族の悲劇を『日本書紀』に拠って偲ぶ文章や、塔や円柱の美を論じた小文に、自作の長歌・短歌や詩が交じる構成で、歴史書・宗教的随想・旅行記の性格をあわせ持つ。
あらすじ
昭和十二年から二十年にかけての大和の旅をもとにした古寺巡礼の記である。「斑鳩宮」では、聖徳太子が「和」を祈った飛鳥の時代を思い、太子の没後に蘇我入鹿が斑鳩宮を襲い、山背大兄王が民を戦に巻き込むことを拒んで一族とともに死を選んだ悲劇を『日本書紀』に拠ってたどり、夢殿の救世観音に太子の面影を見る。「法隆寺」では初めての旅で百済観音を拝した感動や金堂の春、宝蔵殿の仏たち、止利仏師の仕事を、「中宮寺」では思惟の像の微笑や天寿国曼荼羅を語る。続いて荒れた法輪寺の三重塔と虚空蔵菩薩、薬師寺の白鳳の光と塔の美、唐招提寺の金堂の円柱、東大寺の大仏殿や不空羂索観音、講堂の址の礎石を訪ね、最後に新薬師寺へ至る高畑の道と薬師如来の十二の本願を説いて、信仰が一身の利益ではなく人々の救いをめざしたものだったと述べる。あとがきでは、本書は求信の過程の記録であり、どこからでも自由に読んでほしいと記し、法隆寺の壁画の焼失や法輪寺の塔の焼失など、執筆後の古寺の変化に触れている。
冒頭部(原文より)
推古天皇の御代、上宮太子が摂政として世を治めておられた飛鳥の頃は、私にとって最も懐しい歴史の思い出である。私ははじめ史書によってこの時代を学んだのではなかった。大和への旅、わけても法隆寺から夢殿、中宮寺界隈へかけての斑鳩の里の遍歴が、いつしか私の心に飛鳥びとへの思慕をよび起したのである。海岸を思わせる白砂と青松、そのあいだを明瞭に区ぎっている法隆寺の土塀、この整然たる秩序を保った風光の裡に、千三百年のいにしえ、新しい信仰をめぐってどのような昏迷と苦悩と、また法悦が飛鳥びとをとらえたか。私は法隆寺の百済観音や中宮寺の思惟の菩薩に、幾たびかその面影をさぐってみた。頬に軽く指先をふれた柔軟な思惟像に彼らの瞑想の深さを偲び、或は百済観音のほのぼのとした清純な姿に法悦の高い調べを思ったりした。これらみ仏そのままの風貌で、飛鳥びとはこの辺を逍遥していたのであろうか。そこには永遠の安らいがあったに相違ない。はじめて法隆寺を訪れた頃は、私はこうした思いで心が一杯になり、夢中で斑鳩の址をめぐって歩いた。私の心にも漸く新生の曙が訪れそめた頃であった。
「大和古寺風物誌」亀井勝一郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
この十数年間にも、大和古寺には二三の変化があった。たとえば法隆寺の壁画は焼けてしまったし、斯集の法輪寺にかいてある三重塔も、昭和十九年雷火のため焼失して今はない。新薬師寺の香薬師像は盗難に遭ったまま、今もって発見されない。十年前の筆だから、その他にも今日と変っているところがあると思う。これからも何が崩壊するか、焼失するか、予測し難い。遺憾だが、これは古寺古仏の運命というものかもしれない。今のうちに出来るだけ見ておくことだ。ほんとうの美しさ深さは、とても筆や写真では伝え難いのである。
「大和古寺風物誌」亀井勝一郎(青空文庫)
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