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応仁の乱に就て(内藤湖南)のあらすじ・登場人物

日本史は応仁の乱から始まる

内藤湖南 1921年(大正10年)8月

文字数
16,465字
読了目安
約33分
表記
旧字旧仮名

この作品について

東洋史学者の内藤湖南が1921年(大正10年)8月に史学地理学同攻会で行った講演の記録で、のちに『日本文化史研究』に収められた。専門の中国史から離れた「他流試合」と断りながら、応仁の乱を、下の階級が力を伸ばしていく日本史の大きな転換点として論じる。今日の日本を知るには応仁の乱以後の歴史を知れば足り、それ以前は外国の歴史と同じくらいにしか感じられない、という一節がよく知られる。一条兼良の『樵談治要』や『塵塚物語』など、手元のわずかな本から当時の気分を読み取る語り口で、足軽の横行や下剋上だけでなく、学問・信仰・趣味が貴族の占有から民衆へ広がった過程に目を向ける。聴衆の笑い声まで書き留めた、くだけた話し言葉の講演録である。

あらすじ

内藤湖南は、専門外の「他流試合」だと断ったうえで、応仁の乱は京都が焼けたこと以上に、下級人民が向上発展していく日本史の記録として最も大きな出来事だったと説く。この乱を境に古い家柄の多くが滅び、新しい家が興ったことから、今日の日本を知るには応仁の乱以後の歴史を知れば十分で、それ以前は外国の歴史と同じくらいにしか感じられないとまで言う。材料として取り上げるのは、当代随一の学者だった一条兼良が将軍足利義尚のために書いた『樵談治要』である。湖南はその経綸を古い貴族政治の習慣にとらわれたものと評しつつ、足軽の乱暴を嘆く一条などに、時代の実状がよく表れていると見る。さらに『塵塚物語』の逸話から、身分を問わず実力を重んじる下剋上の気分を読み取る。一方で当時の大勢は、学問や文化が貴族から一般へ広がることにあったとし、朝廷の保護を失った伊勢神宮が御師を通じて民衆の信仰で支えられるようになったこと、仮名の暦、源氏物語の尊重、清原家の講釈などの例を挙げる。門徒宗の広がりも、兼良の側から見れば危険思想だった。こうして貴族の占有物が民衆へ広がった百年の混乱が、やがて元亀・天正の統一に役立つ思想を育て、統一の観念の強い国民をつくったと湖南は結ぶ。ただし過去の例から将来を判断するのは慎重であるべきだと付け加え、平民の実力が興った応仁の時代は平民にとって謳歌すべき時代だったと講演を閉じる。

冒頭部(原文より)

 私は應仁の亂に就て申上げることになつて居りますが、私がこんな事をお話するのは一體他流試合と申すもので、一寸も私の專門に關係のないことであります、が大分若い時に本を何といふことなしに無暗に讀んだ時分に、いろいろ此時代のものを讀んだ事がありますので、それを思ひ出して少しばかり申上げることに致しました。それももう少し調べてお話するといゝのですが、一寸も調べる時間がないので、頼りない記憶で申上げるんですから、間違があるかも知れませぬが、それは他流試合だけに御勘辨を願ひます。  兎に角應仁の亂といふものは、日本の歴史に取つてよほど大切な時代であるといふことだけは間違のない事であります。而もそれは單に京都に居る人が最も關係があるといふだけでなく、即ち京都の町を燒かれ、寺々神社を燒かれたといふばかりではありませぬ。それらは寧ろ應仁の亂の關係としては極めて小さな事であります、應仁の亂の日本の歴史に最も大きな關係のあることはもつと外にあるのであります。

「応仁の乱に就て」内藤湖南(青空文庫)

末尾部(原文より)

 兎に角應仁時代といふものは、今日過ぎ去つたあとから見ると、さういふ風ないろ/\の重大な關係を日本全體の上に及ぼし、殊に平民實力の興起において最も肝腎な時代で、平民の方からは最も謳歌すべき時代であると言つていゝのであります。  それと同時に日本の帝室と言ふやうな日本を統一すべき原動力から言つても、大變價値のある時代であつたといふ事は之を明言して妨げなからうと思ひます、まあ他流試合でありますからこれ位の所で御免を蒙つておきます。

「応仁の乱に就て」内藤湖南(青空文庫)

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