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留魂録(吉田松陰)のあらすじ・登場人物

処刑を前に門下へ遺した言葉

吉田松陰 1859年10月

文字数
5,606字
読了目安
約11分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

幕末の思想家・教育者の吉田松陰が、安政の大獄で江戸伝馬町の獄に繋がれ、処刑を前にした1859年(安政6年)10月25日から26日にかけて書き上げた遺書。冒頭に「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」の辞世を掲げ、評定所での取り調べの経過、死を前にした心境、獄中で知り合った同志のこと、松下村塾の門下生への願いを十六か条にわたって記す。人の一生を四季にたとえて、自分の生にも実りがあったと語る一条はとりわけ知られる。門下生たちに読み継がれ、幕末の志士たちの精神的な支えとなった。

あらすじ

松陰はまず、去年以来の心の変化を振り返り、江戸へ送られるにあたって孟子の「至誠にして動かざる者は、いまだこれ有らざるなり」の一句を手巾に縫いつけ、誠をもって幕吏を動かそうと志したことを記す。続いて、七月以来の評定所での取り調べの経過を述べる。梅田雲浜との密議や御所への落とし文の嫌疑には身に覚えがないと答えたが、自ら進んで、大原重徳の西下を請う策や老中間部詮勝(鯖江侯)を待ち受けて諫める計画を申し立てたことから、獄に下されることになった。松陰は、志を遂げられなかったのは自分の徳が薄いためだとして、誰をも恨まないと言う。そして、十歳で死ぬ者には十歳の、百歳で死ぬ者には百歳の四季があり、自分も三十歳にしてすでに実りの時を迎えたのだから、その実が空か充実しているかは同志が継いでくれるかどうかにかかっていると、死に臨む心境を語る。さらに、獄中で出会った同志たちの人となりや、すでに刑死した越前の橋本左内の獄中の論に深く共感したことを記し、門下生や同志の名を挙げて、自分の志を継ぎ互いに結び合ってほしいと願う。最後に、思い残すことはないと詠んだ和歌を書き添え、十月二十六日の黄昏に筆をおく。

登場人物

冒頭部(原文より)

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂 十月念五日     二十一回猛士

「留魂録」吉田松陰(青空文庫)

末尾部(原文より)

かきつけ終りて後 心なることの種々かき置きぬ   思い残せることなかりけり 呼びだしの声まつほかに今の世に   待つべきことのなかりけるかな 討たれたる吾れをあはれと見ん人は   君を崇めて夷払へよ 愚なる吾れをも友とめづ人は   わがとも友とめでよ人々 七たびも生きかへりつつ夷をば   攘はんこころ吾れ忘れめや 十月二十六日黄昏書す    二十一回猛士

「留魂録」吉田松陰(青空文庫)

名文

身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

吉田松陰が処刑の前日、獄中で書き上げた『留魂録』の冒頭の辞世。身は武蔵野の野に朽ちても、志は残したいと詠む。

十歳にして死する者は十歳中おのづから四時あり。二十はおのづから二十の四時あり。三十はおのづから三十の四時あり。五十、百はおのずから五十、百の四時あり。

三十歳で刑に臨む松陰が、人の一生を稲の春夏秋冬になぞらえ、寿命の長短に関わらず誰にも実りの時があると説く一節。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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