永井隆の生涯と代表作

長崎の鐘は鳴る

生没
1908–1951
出身
島根県
Wikipedia
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略歴

1908年(明治41年)、島根県松江に生まれ、雲南で育つ。長崎医科大学で放射線医学を専攻し、研究のなかで浴びた放射線により白血病を発病。余命三年と宣告された直後の1945年8月9日、長崎で被爆し、妻・緑を失った。自らも重傷を負いながら救護にあたり、のちに二人の子と暮らす二畳一間の庵を「己の如く人を愛せよ」から「如己堂」と名づけて、病床から「長崎の鐘」「この子を残して」などを書きつづけた。原爆の惨禍とカトリックの信仰を重ねて綴った著作は戦後日本で広く読まれ、「長崎の鐘」は歌にもなった。1951年(昭和26年)、43歳で死去。子どもたちの心を本で豊かにしたいと、1950年には私費で図書室「うちらの本箱」を設けた。桜の植樹を呼びかけるなど、病床からの著述に加えて、被爆地で人々が暮らしを取り戻すための活動にも関わった。

収録作品

名文

永井隆の名文