岡倉天心の生涯と代表作
茶碗一杯の思想
- 生没
- 1863–1913
- 出身
- 神奈川県
- Wikipedia
- Wikipedia
略歴
1863年(文久2年)、横浜の生糸貿易商の家に生まれる。本名は覚三。幼くして英語を学び、東京大学でフェノロサに師事して日本美術の価値に開眼した。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に尽力して校長となり、のちに日本美術院を創設。横山大観・下村観山らを育て、近代日本美術の方向を決定づけた。晩年はボストン美術館の東洋部長として海外で活動し、英語で「東洋の理想」「日本の目覚め」「茶の本」を著す。とりわけ「茶の本」は、茶の湯を通して東洋の美意識と生の哲学を西洋に説いた名著として、いまも世界中で読まれている。1913年(大正2年)、50歳で死去。文化財の調査・保護と美術教育にも携わり、日本美術院では新しい絵画を支える場を作った。「茶の本」では茶の歴史だけでなく、道教や禅、生活と芸術の関わりを論じ、英語で日本文化を説明する立場から西洋の読者と対話した。
収録作品
- 茶の本 1906年(明治39年)