茶の本(岡倉天心)のあらすじ・登場人物
茶道は「不完全なもの」の崇拝
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この作品について
岡倉天心が1906年にニューヨークで英文で刊行した「The Book of Tea」の日本語訳(村岡博訳)。一杯の茶から説き起こして、道教と禅、茶室の簡素、花と芸術の見方、そして利休の最期までを語り、東洋の美意識と生の哲学を西洋の読者に示した名著である。「茶道の要義は『不完全なもの』を崇拝するにある」という一節はあまりにも名高い。
あらすじ
「茶は薬用として始まり後飲料となる」——第一章「人情の碗」は、シナで詩歌の域に達した茶が、十五世紀の日本で一種の審美的宗教すなわち茶道にまで高められたと説く。茶道とは日常生活の俗事のなかにある美しきものを崇拝する儀式であり、その要義は「不完全なもの」を崇拝するところにある。第二章「茶の諸流」では、唐の煎茶・宋の抹茶・明の淹茶という三つの時代と、茶聖・陸羽の仕事がたどられる。第三章「道教と禅道」では、浮世をあきらめつつそこに美を見いだそうとする道教と、人生の些事のなかに偉大を見る禅とが、茶道の理想の源であることが示される。第四章「茶室」は、茅屋にすぎない茶室の簡素と純潔、そこに込められた象徴を語り、第五章「芸術鑑賞」は、名人と鑑賞者のあいだに交わされる内密の黙契と暗示の価値を説きながら、現代の表面的な熱狂を批判する。第六章「花」では、西洋の花の浪費を嘆き、生花の宗匠たちの心をたどる。そして最終章「茶の宗匠」は、秀吉の命により死を賜った千利休の最後の茶の湯を描く。愛用の茶碗を砕き、辞世を残して自刃する利休の姿をもって、この書は閉じられる。
冒頭部(原文より)
茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。
「茶の本」岡倉天心(青空文庫)
末尾部(原文より)
茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。というのは、倫理、宗教と合して、天人に関するわれわれのいっさいの見解を表わしているものであるから。それは衛生学である、清潔をきびしく説くから。それは経済学である、というのは、複雑なぜいたくというよりもむしろ単純のうちに慰安を教えるから。
「茶の本」岡倉天心(青空文庫)
名文
茶は薬用として始まり後飲料となる。
東洋の美意識を英語で世界に説いた名著の第一行。薬から飲み物へ、やがて「審美的宗教」へという本書の道筋を一文で示す。
茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。
第一章の一節。完全でないものにこそ美を見るという茶の湯の精神を一文で言い切り、東洋の美意識を世界の読者へ伝えた。
原文を読む
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