山川丙三郎の生涯と代表作
神曲を訳した文語の名手
- 生没
- 1876–1947
- 出身
- 新潟県
- Wikipedia
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略歴
1876年(明治9年)、新潟県北蒲原郡(現・新発田市)生まれ。仙台の東北学院で苦学し、在学中に教師として赴任した島崎藤村と交流した。受洗してキリスト教に入り、のち渡米してカリフォルニア大学に学ぶ。帰国後は東北学院の教授を務めるかたわら、ダンテ『神曲』の完訳という畢生の大事業に取り組み、1914年(大正3年)の「地獄篇」から1922年(大正11年)の「天堂篇」まで、格調高い文語体で三篇を訳し上げた。日本におけるダンテ本格紹介の礎を築いた訳業として名高く、戦後は岩波文庫に収められて広く読み継がれている。1947年(昭和22年)、71歳で死去した。訳業の背景にはダンテ研究者・大賀寿吉との書簡による交流と助力があった。一人の訳者の業績としてだけでなく、原典の理解を深める協力を通じて完成した仕事でもある。東北学院での教育活動と並行して、イタリア文学を日本語へ伝える研究を続けた。
翻訳・現代語訳
- 神曲 1914年(大正3年)