人生論ノート(三木清)のあらすじ・登場人物
孤独は山になく、街にある
- 文字数
- 70,998字
- 読了目安
- 約2時間22分
- 表記
- 旧字旧仮名
この作品について
哲学者・三木清が「文學界」に連載した二十三篇の随想。死・幸福・懐疑・習慣・虚栄・名誉心・孤独・嫉妬・成功・旅——人生のありふれた主題を一つずつ取り上げ、箴言のような短い断章で考えぬく。戦時下の重苦しい空気のなかで書かれながら、どこまでも澄んだ理性の光をたたえ、いまも読み継がれる哲学的エセーの名著である。
あらすじ
「近頃私は死といふものをそんなに恐しく思はなくなつた。年齡のせゐであらう」——巻頭の「死について」は、そう静かに書きおこされる。愛する者、親しい者の死が多くなるにつれ、死の恐怖はかえって薄らいでゆく。生まれてくる者よりも、死んでいった者に自分を近く感じるようになったのだ、と。以下、「幸福について」「懐疑について」「習慣について」「虚栄について」「名誉心について」「怒について」「人間の条件について」「孤独について」「嫉妬について」「成功について」「瞑想について」「噂について」「利己主義について」「健康について」「秩序について」「感傷について」「仮説について」「偽善について」「娯楽について」「希望について」「旅について」「個性について」と、身近な主題が次々に取り上げられる。三木は、幸福は徳と同じく人格そのものであると説き、嫉妬は自分を高めようとせず相手を引き下げようとする点で最も悪魔的な性質だと断じ、「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の『間』にあるのである」と書く。定義を並べるのではなく、生きた実感からことばを起こしていく断章の連なりは、読者それぞれの人生の場面にそのまま重なってくる。後記には、これで終わるべき性質のものではない、と記されている。
冒頭部(原文より)
死について 近頃私は死といふものをそんなに恐しく思はなくなつた。年齡のせゐであらう。以前はあんなに死の恐怖について考へ、また書いた私ではあるが。 思ひがけなく來る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齡に私も達したのである。この數年の間に私は一度ならず近親の死に會つた。そして私はどんなに苦しんでゐる病人にも死の瞬間には平和が來ることを目撃した。
「人生論ノート」三木清(青空文庫)
末尾部(原文より)
この書物はその性質上序文を必要としないであらう。ただ簡單にその成立について後記しておけば足りる。このノートは、「旅について」の一篇を除き、昭和十三年六月以來『文學界』に掲載されてきたものである。もちろんこれで終るべき性質のものでなく、ただ出版者の希望に從つて今までの分を一册に纏めたといふに過ぎない。
「人生論ノート」三木清(青空文庫)
名文
幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるやうにいつでも氣樂にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。
「幸福について」の一節。幸福を気分や持ち物ではなく人格そのものと結びつけ、外套のように脱ぎ捨てられない幸福こそ真の幸福だと説く。
孤獨は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。
「孤独について」の一節。孤独は独りでいることではなく、大勢の人のあいだにこそあると喝破した言葉として、今もしばしば引かれる。
原文を読む
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