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新詩発生時代の思ひ出(土井晩翠)のあらすじ・登場人物

新体詩のはじまりを回想する

土井晩翠 1935年(昭和10年)7月 「中央公論」

文字数
8,291字
読了目安
約17分
表記
旧字旧仮名
種別
随筆

この作品について

土井晩翠が明治の新体詩の誕生期を振り返った回想。1935年(昭和10)7月の『中央公論』に載った。文学史を書く人が先入観で材料を取捨する弊を戒める文章から始まり、自分が詩に携わった頃の事情を語る。末尾には姓の読みを「ツチヰ」から「ドヰ」に改めたという付記がある。

あらすじ

冒頭で、文学史を書く者の中には、勝手な予定の観念にあてはまる材料のみを引用し、まとまりをつけたがる悪癖があると指摘し、ブランデスやテーヌの例を挙げる。さらに漢詩の初唐・盛唐・中唐・晩唐の区分を、銭謙益が批判した話に及ぶ。そのうえで、日本の新体詩が生まれた時代の思い出が語られる。文末の付記には、前年秋に出た随筆集『雨の降る日は天気が悪い』の序言のとおり、自分の姓は従来ツチヰと発音していたが種々の理由でドヰと改めた、とある。

冒頭部(原文より)

 ブランデスやテインなどに其例を見る通り、文學史を書く者の中には、勝手な豫定の觀念を基とし、これに當てはまる材料のみを引用して、何とかかとか纏りを附け度がる弊風がある。漢文學史の上にも澤山の類例があらう。元遺山の編と稱せられて、そして實際其編である事は間違ひない、と思はるゝ「唐詩鼓吹」に、明末清初の錢謙益(牧齋)が序文を書いて、中に明代三百年來の詩學の弊風を攻撃し、

「新詩発生時代の思ひ出」土井晩翠(青空文庫)

末尾部(原文より)

 明治卅三年正月、故郷仙臺にある第二高等學校に仕官し、卅四年海外漫遊に出かけ、卅七年秋、日露戰役の最中歸朝し、翌年再び二高に就職して爾來三十餘年、既往は眞に一夢のやうに感ずる。昨年、本官を辭したが、今なほ講師として奉職して居る。同僚中には、日露戰役後三年に生れた若い方もある。いつ迄も青年氣取りで、たまに晩翠翁なぞ新聞紙上に書かれると内々大不平だが、何とも致し方がない。呵々。  與へられた枚數が盡きたから、こゝで擱筆する。 (附言)昨年秋出版の隨筆集、「雨の降る日は天氣が惡い」の序言中に述べた通り、私の姓は從來ツチヰと發音し來つたが、種々の理由でドヰと改音した。序ながら一寸こゝに書く。

「新詩発生時代の思ひ出」土井晩翠(青空文庫)

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