土井晩翠の生涯と代表作
漢詩調で歌う雄渾の詩人
- 生没
- 1871–1952
- 出身
- 宮城県
- 文学史
- 浪漫主義
- Wikipedia
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略歴
1871年(明治4年)、仙台の質屋の長男に生まれる。本名は林吉。第二高等中学校を経て帝国大学英文科に学び、1899年(明治32年)、高山樗牛らの後押しで第一詩集『天地有情』を刊行。漢詩の書き下し風の雄渾な調べで広く愛誦され、叙情の島崎藤村と並べて「藤晩時代」と称された。東京音楽学校の委嘱で作詞した「荒城の月」は、滝廉太郎の作曲で1901年(明治34年)に発表され、今も歌い継がれる。欧州遊学ののち長く母校の二高で英語を教え、昭和に入るとホメロスの二大叙事詩「イーリアス」「オヂュッセーア」の訳詩に打ち込んだ。姓の読みは本来「つちい」だが、1934年(昭和9年)に「どい」と改めている。夏目漱石とは1894年の松島旅行の際に出会い、その後も書簡を交わした。東北大学には晩翠宛ての漱石の書簡も残る。1950年(昭和25年)、詩人として初めて文化勲章を受章。1952年(昭和27年)、80歳で死去した。「天地有情」では歴史や英雄に取材した叙事的な詩を通じて、大きな時間の流れに人の生を重ねた。英文学を教えながら、後年にはギリシア語原典からホメロスの二叙事詩を訳し、詩人・教育者・翻訳者として活動した。
収録作品
- 天地有情 1899年(明治32年)4月
- 新詩発生時代の思ひ出 1935年(昭和10年)7月
翻訳・現代語訳
- イーリアス 1940年(昭和15年)11月