高山樗牛の生涯と代表作
明治の熱い論客
- 生没
- 1871–1902
- 出身
- 山形県
- 文学史
- 浪漫主義
- Wikipedia
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略歴
1871年(明治4年)、出羽国庄内・鶴岡(現在の山形県鶴岡市)に生まれる。本名は林次郎。第二高等学校を経て東京帝国大学哲学科に学び、在学中に『平家物語』の「横笛」に取材した歴史小説「滝口入道」を読売新聞の懸賞に匿名で応募して当選、一躍文名を得た。卒業後は雑誌「太陽」の主筆として健筆をふるい、はじめ日本主義を唱えて日清戦争後のナショナリズムを代表する論客となったが、やがて樋口一葉「たけくらべ」をいち早く絶讃するなど鋭い批評眼を示し、思想は個人の内面へと深まってゆく。晩年はニーチェに深く傾倒し、本能の満足に至上の価値を置く「美的生活を論ず」を発表して坪内逍遥らとの美的生活論争を巻き起こし、さらに日蓮に傾倒した。明治浪漫主義を代表する評論家・思想家として大きな影響を残したが、肺結核のため1902年(明治35年)、三一歳の若さで世を去った。東京大学講師・文学博士。
収録作品
- 人生終に奈何 1891年(明治24年)6月
- 滝口入道 1894年(明治27年)4月
- 一葉女史の「たけくらべ」を読みて 1896年(明治29年)5月
- 清見寺の鐘声 1901年(明治34年)5月
- 美的生活を論ず 1901年(明治34年)8月