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清見寺の鐘声(高山樗牛)のあらすじ・登場人物

病中に聴く清見寺の鐘の音

高山樗牛 1901年(明治34年)5月

文字数
1,543字
読了目安
約3分
表記
旧字旧仮名
種別
随筆
舞台
  • 静岡県

この作品について

高山樗牛が明治34年(1901年)に書いた雅文体の抒情的随筆。病を養うため駿河の清見潟に身を寄せた著者が、夜半に響く清見寺の鐘の音に耳を澄まし、六年越しの思いをうたう。移りゆく人の世と、偽りなく変わらぬ山水とを対比し、薄倖の我が身を見つめる、病中の樗牛の哀切な心情がにじむ一編である。

あらすじ

夜半の目覚めに、清見寺の鐘の音が響いてくる。この鐘を聞かんとして六年の歳月をむなしく過ごしたと、著者は思いのままに聴き明かそうとする。かつて病を得てこの地に客となり、清見寺の鐘に朝夕を送り迎え、三保の松原に月を眺めて泣き明かした日々――その鐘をもう一度と願いながら、俗事に追われて果たせずにいた。だが昨秋、思わぬ病に再びこの東海の地へさすらい、晴夜の鐘に多年の思いを述べる願いがついに叶う。西の彼方へ征くはずの身が、病躯を故郷の山河にとどめる数奇な運命を思う。偽りなく、そねみなく、争いもなく変わらぬ山と水――生死に迷い興亡を巡る人の世を思えば、我が身の恥ずかしさよ。やがて名もなき枯骨と果てる薄倖の身が、なお命を捨てかねて漂泊の日々を重ねる愚かさと哀れ。鐘の音は幾たびも響きわたり、思いはいよいよ深くなる。最後の鐘声の余韻が咏嘆を残して消え、言葉に上りがたいこの思いを言い解くのはこの鐘のほかにない、と著者は結ぶ。年を越えて都に帰れば、もはや清見寺の鐘は聞けず、ただ月明の一夜、海風に向かって長く嘯きたいと願うのだった。

冒頭部(原文より)

夜半のねざめに鐘の音ひゞきぬ。おもへばわれは清見寺のふもとにさすらへる身ぞ。ゆかしの鐘の音や。この鐘きかむとて、われ六とせの春秋をあだにくらしき。うれたくもたのしき、今のわが身かな。いざやおもひのまゝに聽きあかむ。秋深うして萬山きばみ落つ。枕をそばだつれば野に悲しき聲す。あはれ鐘の音、わづらひの胸にもの思へとや、この世ならぬひゞきを、われいかにきくべき。怪しきかな、物おもふとしもあらなくに、いつしかわが頬に涙ながれぬ。

「清見寺の鐘声」高山樗牛(青空文庫)

末尾部(原文より)

最後の鐘聲おこりぬ。餘音とほくわたりて、到るところに咏嘆のひゞきをとゞめぬ。うれしの鐘の音や、人間の言の葉に上りがたきわがいくそのおもひ、この鐘ならで誰か言ひとかむ。年を越えてわれ都にかへりぬ。わが思ひまた胸にむすぼれつ。夜半のねざめに清見寺の鐘聲またきくべからず。われは今に於ても幾たびか思ひぬ。唱一語以てわがこの思ひを言ひあらはさむすべもがな。かくて月あかき一夜、海風に向ひて長く嘯かなむ。わが胸のいかばかり輕かるべき。

「清見寺の鐘声」高山樗牛(青空文庫)

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