椎の実(橋本多佳子)のあらすじ・登場人物
淋しがり屋が森へ向かう日
- 文字数
- 1,470字
- 読了目安
- 約3分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 奈良県
この作品について
橋本多佳子が、淋しがり屋だといわれた自分を省みながら、奈良の春日の森へひとりで句を作りに出かけた一日を綴った随筆。芒野、森、遊ぶ人々などに触れて、孤独と楽しさが入れ替わる気持ちを素直に語る。多佳子の句作の日常がわかる。
あらすじ
書き出しは、「淋しがり屋」と言われたとき嫌だったが、考えてみればそう言われても仕方がない、という告白である。友達と会うと別れたあとの淋しさがいやで、つい引き留める工夫をしているという。そんな多佳子は時折ひとりで句を作りに奈良の森へ出かけ、近くの静かな森や谿を季節ごとに好んでいる。この日も、若宮の御祭の翌日で人影のない参道を歩き、飛火野に出ると一面の芒野で、ほほけた穂が日に光っていた。子供が来ないのが淋しいなどと思いつつ、野の遊びを眺めるうち、夕暮れの寒さに襟を合わせて、街の灯の方へ歩きだす。人に会ったあとの淋しさはなく、胸いっぱいに楽しさが満ちて、家路の灯の暖かさが広がる。
冒頭部(原文より)
私は淋しがり屋と云はれてその時はいやだつたが、考へて見るとさう云はれても又仕方がないことでもあつた。友達などに会つてゐると、別れたあとの淋しさがいやで、知らぬうちに一生懸命なんとかしてと引留め策を考へてゐるのである。だから人中にゐる間ぢゆう淋しがりやであるのは本当で、人にさう感じられるのも仕方ないことである。
「椎の実」橋本多佳子(青空文庫)
末尾部(原文より)
寒くなつた。襟をあはせて、夕靄に点いた街の灯の方へ歩きはじめた。何か胸一杯に充ちた楽しさである。人に会つたあとのあの淋しさなどみぢんもなく明るい。もつともそれは私の帰る行先に暖く家路の灯が一面にひろがつてゐたせいでもあらう。
「椎の実」橋本多佳子(青空文庫)
原文を読む
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