アプリで読む

無料・登録不要

孔子(和辻哲郎)のあらすじ・登場人物

人類の教師としての孔子

和辻哲郎 1938年(昭和13年) 「書き下ろし」

文字数
74,172字
読了目安
約2時間28分
表記
新字新仮名

この作品について

倫理学者の和辻哲郎が、1938年(昭和13年)に書き下ろした孔子論。序文には、まだ孔子に触れたことのない人に『論語』を熟読玩味する気持ちを起こさせたい、という執筆の動機が記されている。釈迦・孔子・ソクラテス・イエスの「四聖」を並べ、ある文化を代表する人物がどのようにして「人類の教師」となるのかを問うところから説き起こし、各教師の伝記の史料批判を比べながら、孔子を伝える確かな資料は『論語』しかないことを確かめる。さらに武内義雄の研究に導かれて『論語』の各篇の成り立ちを読み分け、孔子の言葉と伝記の特徴へと進む。四聖の比較文化史と原典批判とを組み合わせ、平明な論証で孔子像に迫った一冊で、戦後の再版では武内の『論語之研究』を紹介する付録が加えられた。

あらすじ

和辻は序で、孔子を論じる素養はないと断りつつ、まだ孔子を知らない人に『論語』を読む気を起こさせたいと述べる。第一章「人類の教師」では、釈迦・孔子・ソクラテス・イエスが四聖と呼ばれ、それぞれの文化を代表するのは、彼らが人類の教師だからだと論じる。人類の教師は生前から大衆に認められたのではなく、弟子や孫弟子の努力、さらに彼らを生んだ文化が後の文化の模範となることで普遍性を得た。孔子もまた、先秦の文化の結晶でありながら、質の異なる漢や唐宋の文化に生き、教化することで人類の教師となったのである。第二章では、ソクラテス、イエス、釈迦の伝記がいずれも史料の上で曖昧なことを確かめ、孔子の伝記についても、『史記』の「孔子世家」が主に『論語』に拠り、『孟子』の孔子像は孟子の見地から作られていることを示して、信頼できる資料は『論語』しかないと結論する。第三章では、「五十にして易を学ぶ」の一句が「亦」の読み誤りから生じた例を挙げ、武内義雄の講演に導かれて『論語』を層に分け、学而・郷党の二篇を最も古いものと見る。学而篇は孔子学園の学問の方針を示し、郷党篇は日常のふるまいを通して孔子の人柄を伝える最初の孔子伝であり、顔淵や子路の扱い方の違いからも各篇の編纂の立場が読み取れる。第四章では、ほかの三人の教師の伝記が劇的な死を中心とするのに対し、孔子伝には死の記録がなく、孔子は死や魂や神の問題を語らず、人倫の道に専心したことを指摘する。孔子は周の文化を代表する復古的な人物でありながら、後に諸子百家が花開く原初的な思想家でもあった。その思想を知りたければ『論語』を繰り返し読めばよいと述べ、格言のように背景を蔵して要点だけを示す孔子の語録の特徴を、ソクラテスの対話やイエス、釈迦の語録、さらに禅の語録と比べて結ぶ。

冒頭部(原文より)

 自分には孔子について書くだけの研究も素養も準備もない。その自分を無理にしいてこの書を書くに至らしめたのは小林勇君である。が、書いてしまった以上は、この書の責任は自分が負うほかはない。自分は甘んじて俎上に横たわろうと思う。  右のような次第であるから、この書には自分の気づかぬいろいろな誤謬があるかも知れぬ。が、自分が志したのは、いまだ孔子に触れたことのない人に『論語』を熟読玩味してみようという気持ちを起こさせることであった。それが成功しなければ、『論語』をいまだ読まない人が依然としてそれを読まないというだけのことであり、幸いにして成功しても、あとには専門家の注釈や研究が数え切れないほどあるのであるから、自分の誤謬が人を誤ることもなかろうと思われる。と言って、すでに『論語』を知っている人にはこの書は全然用がないというわけでもない。そういう人にも他山の石としてはいくらか役立つであろう。

「孔子」和辻哲郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

 かかる語録の伝統はシナにおいては根強く生き続けた。シナの思想史上最も注目すべき一齣たる禅宗は、かかる語録の様式を生かせて用いている。傑出した禅僧中、その思想を秩序立って叙述するという仕事をしたのは、我が国の道元くらいのものである。孔子の語録を読む場合に禅宗の語録を念頭に浮かべておくことは、いろいろな意味で有益だろうと思われる。

「孔子」和辻哲郎(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

同じ作家の作品