藤原道綱母の生涯と代表作
待つ身の嘆きを綴る
- 生没
- 936–995
- 出身
- 京都府
- Wikipedia
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略歴
平安時代中期の歌人。本名は伝わらず、息子の名から「藤原道綱母」と呼ばれる。受領の藤原倫寧の娘として936年(承平6年)頃に生まれ、954年(天暦8年)、のちに摂政・関白となる藤原兼家の妻の一人となって、翌年に道綱を産んだ。しかし兼家には時姫をはじめ幾人もの妻があり、足の遠のく夫を待つ嘆きや嫉妬、一人息子への愛情、物詣での旅で見つめた自らの心を、結婚からおよそ二十年にわたって仮名文でつづったのが「蜻蛉日記」である。女性がみずからの半生と内面を仮名文で描いた日記文学の先駆とされ、のちの「和泉式部日記」「紫式部日記」「更級日記」へ続く女流日記の先駆けとなった。歌人としても名高く、「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る」は小倉百人一首に「右大将道綱母」の名で採られている。「更級日記」の作者菅原孝標女は姪にあたる。995年(長徳元年)頃没。「蜻蛉日記」は上・中・下の三巻からなり、散文と和歌を組み合わせて心の動きを伝える。夫との関係をめぐる苦悩に加え、家族との別れや息子の成長、旅先での経験も、自らの人生を振り返る語りに織り込まれている。