河口慧海の生涯と代表作
経典を求めて雪の峠へ
- 生没
- 1866–1945
- 出身
- 大阪府
- Wikipedia
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略歴
1866年(慶応2年)、摂津国住吉郡堺(現在の大阪府堺市)の桶樽職人の家に生まれる。幼名は定治郎。哲学館(現在の東洋大学)で井上円了に学び、黄檗宗の僧となって東京の五百羅漢寺の住職を務めた。漢訳の仏典に疑問を抱き、梵語やチベット語の原典を求めて1897年に日本を発つ。インドとネパールでチベット語を学んだのち、中国人と称してヒマラヤを越え、1900年に日本人として初めてチベットに入国した。ラサのセラ寺で学び、身元が知られかけた1902年に脱出する。その旅の記録『西蔵旅行記』(1904年)は大きな反響を呼び、英訳もされた。1913年から再びチベットを訪れ、多くの経典や資料を持ち帰る。のちに還俗して在家仏教を説き、チベット語辞典の編纂にも取り組んだ。1945年(昭和20年)、東京で78歳で死去。
収録作品
- チベット旅行記 1903年(明治36年)
- チベット旅行記 上 1903年(明治36年)
- チベット旅行記 中 1903年(明治36年)
- チベット旅行記 下 1903年(明治36年)