内村鑑三の生涯と代表作
二つのJを愛す
- 生没
- 1861–1930
- 出身
- 東京都
- Wikipedia
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略歴
1861年(万延2年)、高崎藩士の子として江戸に生まれる。札幌農学校の二期生として学び、先輩たちを通じてキリスト教に接して受洗した。のち渡米してアマースト大学に学んだ。帰国後、第一高等中学校の教員だった1891年、教育勅語の奉戴式で深い最敬礼をしなかったことが「不敬事件」として非難された。以後、教会に属さない「無教会主義」を掲げ、雑誌「聖書之研究」を主宰して独立の伝道を続けた。日露開戦に際しては非戦論を唱え、幸徳秋水・堺利彦らとともに反対の論陣を張っている。日本とイエス(Jesus)を指す「二つのJ」への思いや、講演「後世への最大遺物」は、いまも多くの読者を励ましている。1930年(昭和5年)、69歳で死去。英語でも「代表的日本人」「余は如何にして基督信徒となりし乎」などを著し、日本の人物や自らの信仰の経験を海外へ伝えた。聖書の研究とともに、政治や教育、戦争に対する発言を続けた点にも特徴がある。
収録作品
- 後世への最大遺物 1894年(明治27年)11月