山田美妙の生涯と代表作
です・ますの先駆
- 生没
- 1868–1910
- 出身
- 東京都
- 文学史
- 擬古典主義
- Wikipedia
- Wikipedia
略歴
1868年(慶応4年)、武蔵国江戸・神田(現在の東京都千代田区)に生まれる。本名は武太郎。大学予備門で学んだころ、尾崎紅葉・石橋思案らと文学結社「硯友社」を興し、機関誌「我楽多文庫」を舞台に文壇に登場した。1887年(明治20年)、南北朝の争乱に取材した歴史小説「武蔵野」を読売新聞に発表、口語体による言文一致を先駆的に試みて注目を集める。続く「胡蝶(蝴蝶)」「いちご姫」などでも独特の言文一致と会話文で当時の読者に衝撃を与え、二葉亭四迷と並ぶ言文一致運動の旗手として一時代を画した。「です」調など文体の実験を重ね、また『日本大辞書』を編むなど国語辞典編纂の先駆者ともなった。詩人・評論家としても健筆をふるったが、紅葉との反目や私生活の不遇もあって次第に文壇から遠ざかり、不遇のうちに1910年(明治43年)、四二歳で世を去った。
収録作品
- 武蔵野 1887年(明治20年)11月