ゴーゴリの名文
ゴーゴリの作品から、よく知られた一節を集めました。
8件
狂人日記
けふは大變お目出たい日だ! 西班牙の王樣がゐたのだ。見つかつたんだ。その王樣といふのは――おれなんだ。
ゴーゴリ『狂人日記』で、日付が「二千年 四月 四十三日」になった日の書き出し。しがない九等官の妄想が一気に飛躍する転換点。
それといふのも人間が腦髓は頭の中にあるなどと考へてゐるからのことだが、飛んでもない勘違ひで、腦髓つてものは裏海の方角から風に乘つてやつて來るのさ。
同じ日の日記の一節。真顔で語られる奇妙な理屈に、ゴーゴリ独特のおかしみと、正気を失っていく男の哀しさが同居する。
あの青ずんで見えるのはおれの生家ではないか? 窓に坐つてゐるのはお袋ではないか? お母さん、この哀れな伜を助けて下さい!
最後の日記で、主人公が幻の中に故郷の家と母を見る場面。滑稽な妄想の物語が、悲痛な叫びへと変わる名高いくだり。平井肇の旧字旧仮名の訳。
外套
それから長いあいだというもの、きわめて愉快な時にさえも、あの「かまわないで下さい! 何だってそう人を馬鹿にするんです?」と、胸に滲み入るような音をあげた、額の禿げあがった、ちんちくりんな官吏の姿が思い出されてならなかった。しかもその胸に滲み入るような言葉の中から、「わたしだって君の同胞なんだよ。」という別な言葉が響いてきた。
同僚にからかわれたアカーキイの一言が、若い官吏の心に残り続ける。「小さな人間」への憐れみを示す、ロシア文学史上名高い一節。
心ゆくまで書きものをすると、彼は神様があすはどんな写しものを下さるだろうかと、翌日の日のことを今から楽しみに、にこにこほほえみながら寝につくのであった。
写字だけを生きがいとする万年九等官アカーキイ・アカーキエウィッチの日常。貧しくもささやかに満ち足りた小役人の姿が描かれる。
鼻
三月の二十五日にペテルブルグで奇妙きてれつな事件がもちあがった。
ゴーゴリ『鼻』の書き出し。日付まで添えて大まじめに語り出される「奇妙きてれつな事件」とは、ある男の鼻が顔から消えることだった。
【どうして、あいつに近づいたものかな?】と、コワリョーフは考えた。【服装がれっきとしており、おまけに五等官と来てやあがる。】
消えた自分の鼻が、自分より位の高い官吏の姿で街を歩いているのを見た少佐の心中。官等にこだわる役人社会への風刺がきいている。
誰が何と言おうとも、こうした出来事は世の中にあり得るのだ――稀にではあるが、あることはあり得るのである。
作品の結び。荒唐無稽さをさんざん自分で疑ってみせた語り手が、最後に「あり得る」と言い切る。とぼけた語りの妙が光る一文。