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狂人日記(ゴーゴリ)のあらすじ・登場人物

九等官のつづる奇妙な日記

  • 社会
  • 風刺
  • 翻訳

ゴーゴリ 訳者 平井肇 1937年(昭和12年)6月

文字数
25,471字
読了目安
約51分
表記
旧字旧仮名
種別
小説

この作品について

ゴーゴリが1835年の作品集『アラベスキ』で発表した短編を、ゴーゴリの訳者として知られる平井肇が訳したもの(岩波文庫、1937年)。訳文は旧字旧仮名。ペテルブルグの役所に勤め、局長の書斎で鵞ペンを削る役目を誇りにする九等官ポプリーシチンが、日付つきでつづる日記の形をとる。局長の令嬢へのひそかな思い、上役への不満、そして令嬢の小犬が人間の言葉で話すのを聞いたという奇妙な出来事が、本人の言葉のまま記されていく。滑稽な語り口の奥に下級官吏の孤独がのぞく「ペテルブルグもの」の一編で、魯迅の同名の小説はこの作品から題を借りたとされる。

あらすじ

九等官ポプリーシチン(アクセンチイ・イワーノフ)は四十二歳。課長には疎まれているが、局長の官邸で鵞ペンを削る役目を誇りにし、局長の令嬢ソフィーにひそかに恋している。ある雨の日、彼は令嬢の小犬メッヂイが、よその犬フィデリと人間の言葉で話し、手紙のやりとりまでしているのを耳にする。令嬢のことを探ろうとフィデリの飼い主の家に押しかけ、寝箱から手紙の束を奪って読むと、そこには令嬢が侍従武官に夢中で近く婚礼があるらしいこと、自分が「亀が袋をかぶったよう」な醜男として笑われていることが書かれていた。打ちのめされた彼は身分の差を呪い、自分は実は高貴な人間なのではないかと考え始める。王位継承に揺れるスペインの新聞記事に心を奪われた末、日記の日付は「二千年四月四十三日」となり、彼は自分こそ行方の知れないスペイン国王フェルヂナンド八世だと思い定める。役所の書類に王の名で署名し、令嬢の化粧室に押し入ったのち、迎えの「使節」に連れられて着いた「スペイン」は精神病院で、彼は頭を剃られ、冷水を浴びせられる。最後の日記で、彼は空を駆ける三頭立ての馬車を夢見て、故郷の母に助けを求める。

登場人物

冒頭部(原文より)

 けふといふ日にはずゐぶん變なことがあつた。朝、起きたのはかなり遲かつたが、マヴラが長靴の磨いたのを持つて來た時、いま何時だと訊いた。すると、もうとつくに十時を打ちましたとの答へに、おれは大急ぎで身じまひをした。正直なところ、役所へなんかてんで行きたくはないのだ。行けば、きつと課長の奴が澁い面をしやがるにきまつてゐる。奴はもうこの間ぢゆうからおれの顏さへ見ればこんなことを言やあがるんだ――『君は一體どうしたといふんだ、まるで頭が混亂してるやうぢやないか? どうかすると、毒氣にでもあてられたやうにふらふらしてるし、時々、書類の表題に小文字をつかつたり、日附や番號を全然いれなかつたり、何が何やらさつぱり譯のわからないものにしてしまふぢやないか。』なんて。

「狂人日記」ゴーゴリ(青空文庫)

末尾部(原文より)

助けてくれい! 連れてつてくれい! 疾風のやうによく走る三頭立の馬をつけてくれい! さあさ馭者も乘つたり、鈴も鳴れ、馬も元氣に跳ねあがり、世界の果てまで連れ出してくれ! 何もかも見えなくなるまでどんどん走れ。さあさ、もつと遠くへとつとと駈けろ。あれあれ、空があすこへ舞ひあがり、遠くの方では星がきらきら光つてる。森が黒い樹と飛びや月も走る。足もとには銀鼠の霧が棚びき、霧の中では絃の音がする。片方には海がひろがり、片方には伊太利が見える。あれ、向ふの方に露西亞の百姓家が見えてゐる。あの青ずんで見えるのはおれの生家ではないか? 窓に坐つてゐるのはお袋ではないか? お母さん、この哀れな伜を助けて下さい! 惱める頭にせめて涙でも一滴くそそいで下さい! これ、このやうに酷い目にあはされてゐるのです! その胸に可哀さうなこの孤兒を抱きしめて下さい! 廣い世の中に身の置きどころもなく、みんなから虐めつけられてゐるのです!……お母さん、この病氣の息子を憐れんで下さい!……ええとアルジェリアの總督の鼻の下に瘤のあるのを御存じかね?

「狂人日記」ゴーゴリ(青空文庫)

名文

けふは大變お目出たい日だ! 西班牙の王樣がゐたのだ。見つかつたんだ。その王樣といふのは――おれなんだ。

ゴーゴリ『狂人日記』で、日付が「二千年 四月 四十三日」になった日の書き出し。しがない九等官の妄想が一気に飛躍する転換点。

それといふのも人間が腦髓は頭の中にあるなどと考へてゐるからのことだが、飛んでもない勘違ひで、腦髓つてものは裏海の方角から風に乘つてやつて來るのさ。

同じ日の日記の一節。真顔で語られる奇妙な理屈に、ゴーゴリ独特のおかしみと、正気を失っていく男の哀しさが同居する。

あの青ずんで見えるのはおれの生家ではないか? 窓に坐つてゐるのはお袋ではないか? お母さん、この哀れな伜を助けて下さい!

最後の日記で、主人公が幻の中に故郷の家と母を見る場面。滑稽な妄想の物語が、悲痛な叫びへと変わる名高いくだり。平井肇の旧字旧仮名の訳。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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