孔乙己(魯迅)のあらすじ・登場人物
長衫を着た立ち飲みの客
- 社会
- 翻訳
- 文字数
- 4,303字
- 読了目安
- 約9分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
魯迅が1919年に雑誌『新青年』に発表し、第一作品集『吶喊』に収めた短編を、井上紅梅が訳したもの。1932年(昭和7年)の改造社版『魯迅全集』に収められた。舞台は魯鎮の居酒屋咸享酒店。十二歳で燗番の小僧になった「わたし」が、立ち飲みの客なのにただ一人長衫を着ていた、試験に及第できない読書人の孔乙己を思い出して語る。漢文まじりの口癖で客たちの笑いものになる男の姿を、短い場面の積み重ねで描く。中国では長く国語の教科書に採られてきた。
あらすじ
魯鎮の居酒屋咸享酒店で、十二歳から燗番の小僧として働いた「わたし」の回想。立ち飲みの客の中でただ一人長衫を着た孔乙己は、書物を読んでも半人前の秀才にさえなれず、写本を頼まれても酒のために投げ出して、ときには盗みを働いていた。店に来ると客たちは顔の傷や盗みをからかい、彼が「窃書は盗みの数に入らない」と漢文まじりに言い返すたびに、店じゅうが笑いに包まれる。子どもたちには茴香豆を分け与え、小僧の「わたし」には茴の字の書き方を教えようとするが、相手にされない。中秋節の前、彼が丁挙人の家に盗みに入り、脚の骨を折られたという噂が流れる。初冬のある日、両膝を折り曲げてアンペラに座り、手で這って現れた孔乙己は、「落ちたから折れたんだ」とだけ言い、笑い声の中で一杯の酒を飲み干して去っていく。番頭は年末にも翌年の端午の節句にも、まだ十九銭の貸しがあると口にしたが、それきり彼の姿を見ることはなく、たぶん死んだのだろうと「わたし」は思う。
登場人物
- わたし 咸享酒店で燗番をしていた小僧。語り手
- 孔乙己 長衫を着た、落ちぶれた読書人
- 番頭 咸享酒店を切り回す
冒頭部(原文より)
魯鎮の酒場の構えは他所と違っていずれも皆、曲尺形の大櫃台を往来へ向けて据え、櫃台の内側には絶えず湯を沸かしておき、燗酒がすぐでも間に合うようになっている。仕事をする人達は正午の休みや夕方の手終いにいちいち四文銭を出しては茶碗酒を一杯買い、櫃台に靠れて熱燗の立飲みをする。――これは二十年前のことで、今では値段が上って一碗十文になった。――もしモウ一文出しても差支えなければ、筍の塩漬や茴香豆の皿盛を取ることが出来る。もし果して十何文かを足し前すれば、葷さの方の皿盛りが取れるんだが、こういうお客様は大抵袢天著の方だからなかなかそんな贅沢はしない。中には身装のぞろりとした者などあって、店に入るとすぐに隣接した別席に著き、酒を命じ菜を命じ、ちびりちびりと飲んでる者もある。
「孔乙己」魯迅(青空文庫)
末尾部(原文より)
それからずっと長い間孔乙己を見たことがない。年末になると、番頭さんは黒板を卸して言った。 「孔乙己はどうしたろうな。まだ十九銭貸しがある」 次の年の端午の節句にも言った。 「孔乙己はどうしたろうな。まだ十九銭貸しがある」 中秋節にはもうなんにも言わなくなった。 それからまた年末が来たが、彼の姿を見出すことが出来なかった。そして今になったが、とうとう見ずじまいだ。 たぶん孔乙己は死んだに違いない。
「孔乙己」魯迅(青空文庫)
名文
孔乙己は立飲みの方でありながら長衫を著た唯一の人であった。
酒場の小僧だった「わたし」が孔乙己を紹介する一文。立ち飲みの客なのに読書人の長衣を着る姿に、落ちぶれた旧知識人の境遇が表れる。
「窃書は盗みの数に入らない。窃書は読書人の為す事で盗みの数に入るべきことではない」
本を盗んだとからかわれた孔乙己が、顔を赤くして言い返す言葉。体面にすがる姿が笑いを誘い、魯迅の筆の哀しさが浮かぶ。
「上出来、上出来。じゃ茴の字に四つの書き方があるのを知っているか」
茴香豆の「茴」の字を書けた小僧に、孔乙己が得意げに尋ねる言葉。役に立たない学識を誇る姿として、中国でもよく知られる場面。
たぶん孔乙己は死んだに違いない。
店に姿を見せなくなった孔乙己を語り手が思う、作品の最後の一文。誰にも顧みられずに消えた落ちぶれ読書人の行く末を短く告げる。
原文を読む
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