非暴力(ガンディー)のあらすじ・登場人物
愛の法則としての非暴力
- 社会
- 翻訳
- 文字数
- 4,167字
- 読了目安
- 約8分
- 表記
- 旧字旧仮名
この作品について
インド独立運動の指導者ガンジーが、自ら主宰した週刊紙『ヤング・インディア』の1922年3月9日号に書いた論説。暴動事件を機に非協同運動の大衆行動を中止した直後、逮捕される前日にあたる時期の文章で、非暴力を「すべての生物に対する善意」「純粋の愛」と定義し、運動の綱領として掲げる以上はどこまで本気で守らねばならないかを、支持者に厳しく問いかける。訳者の福永渙はロマン・ロランの『ガンヂー論』なども訳した翻訳家で、本編はガンジーの論説・書簡を集めた訳書『ガンヂーは叫ぶ』(1930年)に収められた。
あらすじ
非暴力を主張する者は、自分を傷つけた人にも腹を立てず、その幸福を願わねばならない。完全な非暴力とは、あらゆる生物に悪意を持たないこと、すなわち純粋の愛であり、人類が向かうべき目標である。復讐はどの経典でも義務とされておらず、義務なのは抑制であり、受難こそ人間のしるしだと説く。そのうえでガンジーは、国民会議派などが採用しているのはこの法則の一断片にすぎないと認めつつ、政策としての非暴力も、続けるかぎりは信条と同じ誠実さで守らねばならないと述べる。多くの非協同者は加害の意志を抑えていただけで、復讐の日を延ばしているにすぎず、英国人や協同者が歩くのも危ない地方があること、マドラスの集会での乱暴などを恥ずべきこととして挙げ、チョーリ・チョーラ事件にも触れる。非暴力を綱領とするなら、英国人や協同者と速やかに和解し、彼らが安心して友人と見なせるよう信任を得なければならない。非暴力によるスワラジ(自治)とは、熟した果実が落ちるように自然な平和革命であり、いずれ武力で英国から権力を奪うという考えを胸に秘めて綱領に近づく者は誓いに不忠実だとして、非暴力と非協同か、協同への復帰か、どちらかを選ぶべきだと結ぶ。
冒頭部(原文より)
人が非暴力であると主張する時、彼は自分を傷けた人に對して腹を立てない筈だ。彼はその人が危害を受けることを望まない。彼はその人の幸福を願ふ。彼はその人を罵詈しない。彼はその人の肉體を傷けない。彼は惡を行ふ者の加ふるすべての害惡を耐忍ぶであらう。かくして非暴力は完全に無害である。完全な非暴力は、すべての生物に對して全然惡意を有たぬことだ。だから、それは人間以下の生物をも愛撫し、有害な蟲類や動物までも除外しない。それ等の生物は、吾々の破壞的性癖を滿足させるように作られてゐるのではない。若し吾々が造物主の心を知ることさへ出來たならば、吾々は造物主が彼等を創造した意義を發見するだらう。故に、非暴力はその積極的形式に於ては、すべての生物に對する善意である。それは純粹の愛である。私が印度經の諸聖典や、バイブルや、コーランの中に讀むところのそれだ。
「非暴力」ガンディー(青空文庫)
末尾部(原文より)
若し吾々が吾々の綱領を信ずるならば、吾々は英國人が確かに武力に從順であるやうに、愛情の力にも從順であることを信じなければならぬ。これを信ぜざる者にとつては、立法會議は數世紀に亙る彼等の重苦しい屈辱の要領を學ぶ學校、若くは、恐らく世界が未だ嘗つて目撃しなかつた急激な流血革命を學ぶ學校である。私はさういふ革命に加はらうとは思はない。私はそれを促進するための道具になりたくない。卑見によれば、當然の歸結として非協同を伴ふところの非暴力か、妥協的な協同――即ち障碍を伴ふ協同への復歸か、そのいづれか一つを選ぶべきであると思ふ。
「非暴力」ガンディー(青空文庫)
名文
故に、非暴力はその積極的形式に於ては、すべての生物に對する善意である。それは純粹の愛である。
ガンジーが非暴力を定義した一節。単に害さないことにとどまらず、あらゆる生き物への善意、純粋な愛として積極的に捉えている。
滿足は目的の達成にあるのではなく、努力の中にあるのだ。十分なる努力は十分なる勝利だ。
目標は常に遠ざかるものだと認めたうえでの言葉。満足は達成ではなく努力そのものにあるとする、ガンジーの名言として知られる一節。
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