受動的抵抗の理論と実行(ガンディー)のあらすじ・登場人物
真理の力と呼ぶべき抵抗
- 社会
- 翻訳
- 文字数
- 2,491字
- 読了目安
- 約5分
- 表記
- 旧字旧仮名
この作品について
ガンジーが南アフリカで発行していた新聞『インディアン・オピニオン』の1914年の記念号に寄せた論文。インド人移民への差別立法と闘ってきた八年間をふり返り、インドへ帰国する前の置き土産として、「受動的抵抗」と訳される運動の本質は弱者の手段ではなく「真理の力」「愛の力」だと説く。のちのサティヤーグラハの思想を、南アフリカ時代の経験から語った文章である。ガンジーの論説・書簡を福永渙が訳して集めた『ガンヂーは叫ぶ』(1930年)に収められた。
あらすじ
インドへ発つ前のガンジーは、受動的抵抗という言葉は過去八年間のインド人社会の活動にふさわしくないと述べ、母国語でそれにあたる語は英語にすれば「真理の力」であり、トルストイの言う「精神の力」「愛の力」だと説明する。この力は暴力の否定であり、個人にも団体にも、政治にも家庭にも、男女や子供にも使える。弱者が暴力で報いられないときに使う力だというのは英語の不完全さから来る誤りで、自分を弱者と考える者にはこれを使えない。統治は人民の承認があってのみ成り立つという公理に立ち、トランスヴァールの1907年のアジア人登録法には、暴力ではなく刑罰を受け入れて立法者の心を動かす道を選んだ。闘争が長引いたのは、多くの参加者が信念を欠き、ときに暴力に傾いたためだと省みる。受動的抵抗の精神が強いほど人は善くなり、それが広まれば軍国主義を滅ぼすとし、読み書きよりも先に、愛によって憎しみを、真理によって虚偽を、受難によって暴力を征服できることを子供に教えるべきだと説いて、トルストイ農園やフェニックスでの教育の試みに触れる。
冒頭部(原文より)
私は、この「インデイアン・オピニオン」の記念號が發刊される時には、母國に到着してゐないにしても、少くともフエニツクスから遠く離れてゐるであらう。ところで、私はこの特別號を發刊するに至つたところの私の衷心の思想を置土産にしたいと思ふ。受動的抵抗がなかつたら立派な畫があつて、極めて重要なインデイアン・オピニオンの特別號はこの世に現れなかつたであらう。インデイアン・オピニオンは、過去十一年間、質實にして謙虚な態度で、我が同國人と南アフリカのために貢獻しようと努力して來たのであつて、この十一年間は、彼等が恐らく一度は通り拔けなければならなかつた最も危急な時代であつた。それは、全世界の視聽を集めて受動的抵抗の起源と發展とを刻みつけた時期である。 受動的抵抗といふ言葉は、過去八年間の印度人社會の活動に適合しない。吾が國語でそれと同意味の語は、それを英語に飜譯すると、「眞理の力」を意味する。私はトルストイがそれを「精神の力」又は「愛の力」と呼んだと思ふが、全くその通りである。
「受動的抵抗の理論と実行」ガンディー(青空文庫)
末尾部(原文より)
受動的抵抗は最も崇高で、最も良い教育である。それは、兒童に讀み書きを教へてから教へらるべきものではなく、その前に教へらるべきものである。兒童は、アルフアベツトを書き、世間的知識を習得する前に、魂とは何か、眞理とは何か、精神のうちにはいかなる力が潜んでゐるかを學ぶべきであることは、何人も否定し得ないだらう。人生の爭鬪に於て、愛によつて憎惡を、眞理によつて虚僞を、受難によつて暴力をたやすく征服し得ることを兒童に教へるのは、眞の教育の根本要素であらねばならぬ。私が過般の爭鬪の後半期に、かかる方針に基き、最初にトルストイ農園に於て、次ぎにフエニツクスで、出來るだけ子供の教育に努力したのは、私がこの眞理の力を感じたからである。そして、私が印度に向つて出發する理由の一つは、受動的抵抗者としての自分の不完全を尚一層自覺せむがためである。何となれば、私はさういふ完全さに最も近く近づき得る場所は印度であると信じてゐるからだ。
「受動的抵抗の理論と実行」ガンディー(青空文庫)
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