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村芝居(魯迅)のあらすじ・登場人物

月夜の船で見た村芝居

  • 心理
  • 翻訳

魯迅 訳者 井上紅梅 1932年(昭和7年)11月

文字数
9,183字
読了目安
約18分
表記
新字新仮名
種別
小説

この作品について

魯迅が1922年に雑誌『小説月報』に発表し、第一作品集『吶喊』の巻末に収めた短編「社戯」を、井上紅梅が訳したもの(改造社版『魯迅全集』、1932年)。北京の劇場で見た芝居になじめなかった「わたし」が、少年時代、母の里の小さな水郷で、村の子どもたちと船を漕いで見に出かけた野外の村芝居を思い出す。月夜の川や豆畑の匂いを伝える叙情的な文章で、魯迅の作品のなかでは郷愁に満ちた明るい一編として親しまれている。

あらすじ

「わたし」はこの二十年で中国の芝居を二度しか見ていない。民国元年に北京で見た芝居は、銅鑼の騒がしさと狭い腰掛けに閉口してすぐに逃げ出し、名優譚叫天を目当てに出かけたときも、待ちくたびれて小屋を出てしまった。思い返せば、本当によい芝居を見たのは十一、二歳のころだった。母について里帰りした平橋村は、海辺に近い小さな水郷で、「わたし」には極楽だった。村の子どもたちと蝦を釣り、牛の番をして遊ぶなかで、一番の楽しみは隣の趙荘で催される村芝居だったが、その年は船が借りられず、行けずにすねていた。夜になって、賢い雙喜が八叔の通い船が空いていると言い出し、子どもたちだけで船を漕いで出かけることになる。月夜の川を、豆畑と水草の匂いの中を進み、舞台を遠くに眺めたものの、期待した蜻蛉返りは見られず、老け女形が延々と歌い続けるのに飽きて、一同は引き上げる。帰り道、腹をすかせた子どもたちは阿發の家と六一爺さんの畑から羅漢豆を失敬し、船の上で煮て食べた。翌日、豆を取られた六一爺さんは怒るどころか「わたし」をほめ、豆を届けてくれる。けれどもその豆は、ゆうべの豆ほどうまくはなかった。それきり「わたし」は、あの晩のようなよい豆にも、よい芝居にも、二度と出会っていない。

登場人物

冒頭部(原文より)

 わたしが支那の芝居を見たのは過去二十年間にたった二度だけであった。前の十年は絶対に見なかった。また見ようという意思も機会もなかったから、その二度はどちらも後の十年のうちで、しかもとうとう何の意味をも見出さずに出て来たのだ。  第一囘は民国元年、わたしが初めて北京へ行った時、ある友達から「ここの芝居は一番いいから、以て世相を見てはどうかナ」と言われて、「芝居見物も面白かろう、まして北京だもの」と大に興じてすぐに何やら園とかいう処へ行ったら、もう世話物が始まっていて、小屋の外には太鼓の響が洩れていた。わたしどもは木戸口を入ると、赤いものだの、青いものだの、幾つも眼の前にキラめいて、舞台の下にたくさんの頭を見たが、よく気をつけて見なおすと、まん中にまだ幾つかの空席があったから、そこへ行って坐ろうとした時、わたしに向って、何か言った者があった。最初はガンガンという銅鑼の音で、よく聞えなかったが、注意して聞くと、「人が来るから、そこへ坐ってはいけない」というのだ。

「村芝居」魯迅(青空文庫)

末尾部(原文より)

 わたしは母親に喚ばれて晩飯を食いに帰ったら、卓上の大どんぶりに煮立ての羅漢豆があった。これは六一爺さんがわたしの母とわたしに食べさせるために贈ってくれたもので、彼は母親に向って、わたしのことを箆棒にほめていたそうだ。 「年はいかないが見上げたもんだ。いまにきっと状元に中るよ。おばさん、おめえ様の福分は乃公が保証しておく」  わたしは豆を食べたが、どうしてもゆうべの豆のような旨みは無かった。  まったく、それからずっと今まで、わたしは本当にあの晩のようないい豆は二度と食べたことはなかった。――あの晩のようないい芝居も二度と見たことはなかった。

「村芝居」魯迅(青空文庫)

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