群集の人(ポー)のあらすじ・登場人物
群衆に消える老人の謎
- 心理
- 翻訳
- 文字数
- 10,304字
- 読了目安
- 約21分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
ポーが1840年12月に雑誌に発表した短編「The Man of the Crowd」を、佐々木直次郎が訳したもの(第一書房『エドガア・アラン・ポオ小説全集』第2巻『群集の人』、1931年)。病み上がりの「私」がロンドンのコーヒー・ハウスの窓から夕暮れの大通りを眺め、行き交う人々を服装や歩き方から職業や階層ごとに見分けていく。やがて一人の老人の異様な表情に引きつけられ、その後を追って雨の夜の街へ出る。大都会の群衆をこまかく観察した描写から、のちにボードレールやベンヤミンが近代都市を論じる際にも取り上げた作品として知られる。
あらすじ
ある秋の夕暮れ、長い病気から回復しかけた「私」は、ロンドンのコーヒー・ハウスの大きな張り出し窓のそばに座り、葉巻をくゆらしながら表の大通りを眺めていた。日が暮れるにつれて人の流れは増し、「私」は通行人を、満ち足りた事務的な人々、商店の若い事務員と老練な事務員、掏摸、賭博師、ユダヤ人の行商人、乞食、病人、働く娘たち、酔っ払いなどと、服装や身ぶりから一人ひとり見分けて楽しむ。やがてガス燈の光の中に、六十五か七十歳ほどの、よぼよぼの老人の顔が現れる。その表情には、用心、貪欲、悪意、残忍、勝利、恐怖、絶望といった観念が入り乱れていた。強く惹きつけられた「私」は外套をつかんで外へ飛び出し、気づかれぬよう老人の後をつける。老人はぼろをまといながら上等なリンネルを着ており、外套の裂け目からはダイヤモンドと短刀がのぞいていた。雨の中、老人は人込みの中では落ち着き、人通りがまばらになると不安げになって、新たな群衆を求めて大通り、横丁、市場、劇場の出口、場末のジン酒場へと夜通しさまよう。夜が明けると再び繁華な通りに戻り、終日群衆の中を歩き続けた。二日目の夕暮れ、疲れ果てた「私」は老人の正面に立ってその顔を見つめるが、老人は気にもとめずに歩み去る。「私」は追うのをやめ、この老人は深い罪の型であり権化であって、独りでいることができない「群集の人」なのだと考える。その心は読まれることを許さない書物のようなもので、それ以上を知ることはできないのだと。
登場人物
- 私 病み上がりで、コーヒー・ハウスの窓から群衆を観察する語り手
- 老人 異様な表情で「私」を惹きつけ、群衆の中を歩き続ける男
冒頭部(原文より)
この街は市の主要な大通りの一つで、一日じゅう非常に雑踏してはいた。しかし、あたりが暗くなるにつれて群集は刻一刻と増して来て、街燈がすっかり灯るころには、二つの込合った途切れることのない人間の潮流が、戸の外をしきりに流れていた。夕刻のこういう特別な時刻にこれに似たような場所にいたことがそれまでに一度もなかったので、この人間の頭の騒然たる海は、私の心を愉快な新奇な情緒でみたしたのであった。ついには、店の内のことに注意することはすっかり止めて、戸外の光景を眺めるのに夢中になってしまった。 初めのうちは、私の観察は抽象的な概括的な方向をとっていた。通行人を集団として眺め、彼らをその集合的関係で考えるだけであった。しかしやがて、だんだん詳細な点に入ってゆき、姿、服装、態度、歩き振り、顔付き、容貌の表情、などの無数の変化を、精密な感興をもって注視するようになった。
「群集の人」ポー(青空文庫)
末尾部(原文より)
それでも彼は歩き廻ることをやめずに、狂気じみた元気で、ただちに歩を返して大ロンドンの中心へと向った。永い間彼は疾く走って行った。一方私は、全く驚きはてながらも、いまや心をすっかり奪われてしまうほどの興味を感じているこのせんさくをやめまいと堅く決心しながら、その後を追うて行くのだった。私たちが進んで行くうちに太陽は昇った。そして、もう一度この繁華な町のあの最も雑踏する商業中心地、D――館のある街へやって来た時には、その街は前の晩に見たのとほとんど劣らないくらいの混雑と活動との光景を呈していた。そしてここでも永い間、刻一刻と増してくる雑踏の中に、私はなおもその見知らぬ男の追跡を続けた。しかし、相変らず、彼はあちこちと歩き、終日その喧囂の巷から外へ出なかった。こうして、二日目の黄昏の影が迫って来た頃、私は死にそうなほど疲れはててしまい、この放浪者の真正面に立ちどまって、じっとその顔を眺めた。彼は私を気にもとめずに、その重々しい歩みを続けた。そこで私は後をつけるのをやめて、じっと黙想に耽った。「この老人は」と私はついに言った。「凶悪な犯罪の象徴であり権化であるのだ。彼は独りでいることができない。彼は群集の人なのだ。後をつけて行っても無駄なことだろう。これ以上私は、彼についても、彼の行為についても、知ることはあるまいから。この世の最悪の心は、Hortulus Animoeなどよりももっと気味の悪い書物だ。そして‘es lässt sich nicht lesen’というのは、おそらく神の大きなお慈悲の一つなのであろう」
「群集の人」ポー(青空文庫)
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