兼好法師の名文
兼好法師の作品から、よく知られた一節を集めました。
10件
徒然草
つれ〴〵なるまゝに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつり行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。
序段。「つれづれ」を机に向かう日々の心の動きを書き留める出発点とし、随筆文学の姿勢を示した、日本の随筆を代表する書き出し。
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかに物のあはれもなからん。世は定なきこそいみじけれ。
もし人が死なない世なら物のあはれもない——無常だからこそ美しいと言い切る第七段。兼好の美意識の核となる一節。
花は盛に、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。
第百三十七段。満開の花や満月だけでなく、雨の夜に月を恋い、閉じこもって春の行方を思う心にこそ趣があると説く、未完・不足の美の宣言。
よろづの事は月見るにこそ慰むものなれ。
第二十一段。万事は月を見れば心が慰むと述べ、月か露か風かと争う人々の話へ続く。自然の風物に心を寄せる兼好らしい一節。
仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ、心憂くおぼえて、ある時思ひたちて、たゞ一人かちより詣でけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて傍の人に逢ひて、「年ごろ思ひつる事はたし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも参りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞいひける。すこしの事にも先達はあらまほしきことなり。
第五十二段。石清水に参ったつもりで山上の本社を見ずに帰った法師の失敗談。結びの教訓「先達はあらまほしきことなり」で知られる。
友とするにわろきもの七つあり。一には高くやんごとなき人、二には若き人、三には病なく身つよき人、四には酒をこのむ人、五には武く勇める人、六にはそらごとする人、七には慾ふかき人。
第百十七段。友にして悪い人を七種挙げる一節。身分の高い人・若い人・病気をしない人・酒を好む人など、意外な顔ぶれが並ぶ。
死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人みな死あることを知りて、待つ事しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥なれども、磯より潮の満つるが如し。
第百五十五段。死は前から来るのではなく背後に迫っている、満ち潮が干潟の遠くではなく足元の磯から満ちてくるように——という比喩で無常を突きつける。
その事に候ふ。目くるめき枝危きほどは、おのれがおそれ侍れば申さず。あやまちは安き所になりて、必ず仕ることに候ふ」といふ。あやしき下臈なれども、聖人のいましめにかなへり。
第百九段、「高名の木のぼり」の結び。木登りの名人が、高く危ない所ではなく降りる間際の安全な所でこそ過ちは起きると語る。油断への戒め。
現代語訳 徒然草
鬱屈のあまり一日じゅう硯にむかって、心のなかを浮かび過ぎるとりとめもない考えをあれこれと書きつけてみたが、変に気違いじみたものである。
「つれづれなるままに」で始まる序段を佐藤春夫が訳した一文。名高い書き出しを、くだけた口語の調子で味わえる。
家の造り方は、夏を専一にするのがよい。冬はどんな所にも住まれる。暑いころの悪い住宅ときては我慢のならないものである。
「家の作りやうは夏をむねとすべし」の段の訳。兼好の実際的な住まい論として、今もよく引かれる一節だ。