鈴木三重吉の名文
鈴木三重吉の作品から、よく知られた一節を集めました。
3件
千鳥
千鳥の話は馬喰の娘のお長で始まる。
鈴木三重吉の処女作『千鳥』の書き出し。漱石に認められた小品で、瀬戸内海の小島で過ごしたひと夏の思い出が、この一文から静かに語りはじめられる。
袖を畳むとこう思う。この袂の中に、十七八の藤さんと二十ばかりの自分とが、いつまでも老いずに封じてあるのだと思う。藤さんは現在どこでどうしていてもかまわぬ。自分の藤さんは袂の中の藤さんである。
『千鳥』の結び近く。島で贈られた千鳥の紋の赤い袖に、二人の過ぎた日々を閉じこめる。三重吉らしい浪漫的な余韻がにじむ。
桑の実
もう、かうしてお伴れ申して出るのも今夜きりだといふ事もお知りにならない坊ちやんは、はじめて浴衣の人におなりになつた宵をうれしさうに、先に立つてお歩きになる。
鈴木三重吉『桑の実』の結び近く。この家を去る前夜、何も知らずにはしゃぐ坊ちゃんを連れて歩くおくみの心が、静かににじむ。