千鳥(鈴木三重吉)のあらすじ・登場人物
瀬戸内の小島のひと夏
- 恋愛
- 青春
- 文字数
- 19,951字
- 読了目安
- 約40分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 広島県
この作品について
鈴木三重吉が1906年(明治39)5月に『ホトトギス』へ発表した処女作。夏目漱石に認められた作品として知られる。語り手の青年が、保養のため瀬戸内海の小島の宿でひと夏を過ごし、宿の娘をはじめとする島の人々と交わる日々を回想する形で進む。筋の起伏よりも、島の風景と人々の気配を細やかに写し取る筆に特色がある。
あらすじ
「自分」は、療養もかねて瀬戸内海の小さな島にひと夏を過ごした。宿の一家に温かく迎えられ、なかでも十七、八の娘・藤さんとの間には、言葉少なな、しかし忘れがたい心の交わりが生まれる。海辺の暮らし、島の人々、そして藤さんとのささやかな時間の一つ一つが、青年の胸に静かに沁みてゆく。やがて夏は終わり、「自分」は島を去る。都会へ戻った後も、藤さんの記憶は消えることなく、夜更けにひとり、島で贈られた赤い袖を灯にかざしては、あの日々を「千鳥の話」として何度も心のなかでたどり返す。現実の藤さんがいまどこでどうしていようとかまわない――若い日の藤さんと自分とは、この袂の中に、老いることなく封じられているのだ。淡い初恋のときめきと、それを永遠の思い出として胸に畳んでゆく青年の抒情とを、夢のように美しい文章で描く。文才を惜しんだ夏目漱石に文壇へ送り出された、三重吉の記念すべき出世作である。
登場人物
- 自分 語り手の青年。療養をかねて瀬戸内の島でひと夏を過ごし、宿の娘・藤さんとの淡い心の交わりを、後に「千鳥の話」として回想する
- 藤さん 宿の一家の十七、八の娘。言葉少なだが、「自分」との間に忘れがたい情愛を通わせる
- 小母さん・初や 島の宿の人々。「自分」を温かくもてなす
冒頭部(原文より)
千鳥の話は馬喰の娘のお長で始まる。小春の日の夕方、蒼ざめたお長は軒下へ蓆を敷いてしょんぼりと坐っている。干し列べた平茎には、もはや糸筋ほどの日影もささぬ。洋服で丘を上ってきたのは自分である。お長は例の泣きだしそうな目もとで自分を仰ぐ。親指と小指と、そして襷がけの真似は初やがこと。その三人ともみんな留守だと手を振る。頤で奥を指して手枕をするのは何のことか解らない。藁でたばねた髪の解れは、かき上げてもすぐまた顔に垂れ下る。
「千鳥」鈴木三重吉(青空文庫)
末尾部(原文より)
以来永く藤さんの事は少しも思わない。よく思うのは思うけれど、それは藤さんを思うのではない。千鳥の話の中の藤さんを思うのである。今でも時々あの袖を出してみることがある。寝つかれぬ宵なぞにはかならず出してみる。この袖を見るには夜も更けぬとおもしろくない。更けて自分は袖の両方の角を摘んで、腕を斜に挙げて灯し火の前に釣るす。赤い袖の色に灯影が浸みわたって、真中に焔が曇るとき、自分はそぞろに千鳥の話の中へはいって、藤さんといっしょに活動写真のように動く。自分の芝居を自分で見るのである。始めから終りまで千鳥の話を詳しく見てしまうまでは、翳す両手のくたぶれるのも知らぬ。袖を畳むとこう思う。この袂の中に、十七八の藤さんと二十ばかりの自分とが、いつまでも老いずに封じてあるのだと思う。藤さんは現在どこでどうしていてもかまわぬ。自分の藤さんは袂の中の藤さんである。藤さんはいつでもありありとこの中に見ることができる。 千鳥千鳥とよくいうのは、その紋羽二重の紋柄である。
「千鳥」鈴木三重吉(青空文庫)
名文
千鳥の話は馬喰の娘のお長で始まる。
鈴木三重吉の処女作『千鳥』の書き出し。漱石に認められた小品で、瀬戸内海の小島で過ごしたひと夏の思い出が、この一文から静かに語りはじめられる。
袖を畳むとこう思う。この袂の中に、十七八の藤さんと二十ばかりの自分とが、いつまでも老いずに封じてあるのだと思う。藤さんは現在どこでどうしていてもかまわぬ。自分の藤さんは袂の中の藤さんである。
『千鳥』の結び近く。島で贈られた千鳥の紋の赤い袖に、二人の過ぎた日々を閉じこめる。三重吉らしい浪漫的な余韻がにじむ。
原文を読む
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