鈴木三重吉の生涯と代表作
赤い鳥の生みの親
- 生没
- 1882–1936
- 出身
- 広島県
- 文学史
- 余裕派・高踏派
- Wikipedia
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略歴
1882年(明治15年)、広島生まれ。東京帝国大学在学中に処女作「千鳥」を書き、夏目漱石に激賞されてその推挙で「ホトトギス」に発表、漱石門下の俊英として世に出た。「山彦」「桑の実」など叙情ゆたかな小説で知られたが、娘の誕生を機に児童文学へ転じ、1918年(大正7年)、児童雑誌「赤い鳥」を創刊。芥川龍之介・北原白秋・有島武郎ら一流の作家を集め、俗悪な子ども向け読み物に対して芸術的・良質な童話と童謡を提唱する「赤い鳥運動」を主導して、日本の近代児童文学の礎を築いた。「古事記物語」などの古典の再話も多く残す。1936年(昭和11年)、53歳で没した。「赤い鳥」は作品を集めるだけでなく、子どもの作文などを育てる場にもなった。小説家としての出発から、雑誌を主宰して作者と読者をつなぐ仕事へ活動を広げ、児童文学を継続して発表できる場を築いた。