海(尾崎放哉)のあらすじ・登場人物
海を友とする庵の孤独
- 文字数
- 2,512字
- 読了目安
- 約5分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 香川県
この作品について
尾崎放哉が小豆島の南郷庵で暮らすなか、庵の孤独と海の眺めについて綴った短い随筆。糠味噌壺ひとつない庵の暮らしを芭蕉の句になぞらえながら、一人であることを染々と感じ、海や雲や月、虫の声を友とする晩年の心境を語る。
あらすじ
冒頭は、庵に帰ると松籟が颯々と鳴り、雑草が離々と茂るがらんとした様子である。放哉は、芭蕉が弟子の句空に送った句「秋の色糠味噌壺も無かりけり」を引き、徒然草の世捨人の話に触れて、この庵にも糠味噌壺ひとつない、と笑う。世を捨てて気取っているわけではなく、時折ふとして自分はたった一人なのだと染々感じるのだと書く。八畳の座敷の南に面して海が開け、朝に夕に海があり雲があり、そして一本の柱がある。時はちょうど仲秋で、海につけ雲につけ、月があり虫が鳴く。それを「年中の人間好時節」と喜ぶ思いで、短い随筆は結ばれる。
冒頭部(原文より)
庵に帰れば松籟颯々、雑草離々、至つてがらんとしたものであります。芭蕉が弟子の句空に送りました句に、「秋の色糠味噌壺も無かりけり」とあります。これは徒然草の中に、世捨人は浮世の妄愚を払ひ捨てゝ、糂汰瓶ひとつも持つまじく、と云ふ処から出て居るのださうでありますが、全くこの庵にも、糠味噌壺一つ無いのであります。縁を人に絶つて身を方外に遊ぶ、などと気取つて居るわけでは毛頭ありませんし、また、その柄でも勿論ないのでありますから、時々、ふとした調子で、自分はたつた一人なのかな、と云ふ感じに染々と襲はれることであります。八畳の座敷の南よりの、か細い一本の柱に、たつた一つの脊をよせかけて、其前に、お寺から拝借して来た小さい低い四角な机を一つ置いて、お天気のよい日でも、雨がしと/\降る日でも、風がざわ/\吹く日でも、一日中、朝から黙つて一人で座つて居ります。
「海」尾崎放哉(青空文庫)
末尾部(原文より)
猶茲に、海に附言しまして是非共ひとこと聞いて置いていたゞきたい事があるのであります。私が、流転放浪の三ヶ年の間、常に、少しでも海が見える、或は又海に近い処にあるお寺を選んで歩いて居りましたと云ふ理由は、一に前述の通りでありますが、猶一つ、海に近い処にある空が、……殊更その朝と夕とにて於て……そこに流れて居るあらゆる雲の形と色とを、それは種々様々に変形し、変色して見せてくれると云ふことであります。勿論、其の変形、変色の底に流れて居る光りといふものを見逃がす事も出来ません。之は誰しも承知して居る事でありますが、海の近くで無いとこいつが絶対に見られない事であります。私は、海の慈愛と同時に此の雲と云ふ、曖昧模糊たるものに憧憬れて、三年の間、瓢々乎として歩いて居たといふわけであります。それが、この度、仏恩によりまして、此庵に落ち着かせていたゞく事になりまして以来、朝に、夕べに、海あり、雲あり、而も一本の柱あり、と申す訳で、況んや時正に仲秋、海につけ、雲につけ、月あり、虫あり、是れ年中の人間好時節といふ次第なのであります。
「海」尾崎放哉(青空文庫)
原文を読む
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