上田秋成の生涯と代表作

怪異に人の情を描く

生没
1734–1809
出身
大阪府
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略歴

1734年(享保19年)、大坂曾根崎に生まれる。実父は分からず、4歳で紙油商・嶋屋の上田茂助の養子となった。5歳のとき痘瘡を患い、指が不自由になる。若くして俳諧に親しみ、浮世草子「諸道聴耳世間猿」「世間妾形気」を書いたのち、中国の白話小説や日本の古典に題材を借りた怪異小説集「雨月物語」を1776年(安永5年)に刊行し、近世小説の最高傑作と評される。1771年(明和8年)に家業の嶋屋を火事で失ってから医学を学び、1776年には開業した。また、賀茂真淵の門人・加藤宇万伎に国学を学び、本居宣長と古代の音韻や日の神をめぐって論争した。晩年は京都に移り住み、妻に先立たれ、左目を失明する困窮のなかで「春雨物語」を書き継いだ。「雨月物語」は九つの短編からなる読本で、亡霊や異類との出会いを通して、執念や欲望、信義など人間の心を描き出した。小説だけでなく和歌や古典研究にも取り組み、町人文化と国学の双方に根ざす仕事を残した。1809年(文化6年)、京都で没。

収録作品

名文

上田秋成の名文