梶井基次郎の名文
梶井基次郎の作品から、よく知られた一節を集めました。
8件
檸檬
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
得体の知れない憂鬱を「不吉な塊」と名づけた鮮烈な一句。鬱屈した青年の心と、一顆の檸檬がもたらす一瞬の解放を描く物語の導入。
丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
画集の上に檸檬を置いて立ち去る場面。果実を爆弾に見立てた空想が、鬱屈した心を一瞬だけ解き放つ。
いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。
八百屋で檸檬を見つけた「私」の述懐。絵具を搾り出して固めたような色と、紡錘形の形。単純な物への愛着が、塞いだ心を一瞬ほどいていく。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。
丸善で積み上げた画集の城の頂に檸檬を据えた瞬間。乱雑な色彩をひとつの果実が吸い込み、「カーン」と冴えかえる——擬音一語で緊張感を定着させた名高い一文。
Kの昇天
私はあなたのお手紙ではじめてK君の彼地での溺死を知ったのです。私はたいそうおどろきました。と同時に「K君はとうとう月世界へ行った」と思ったのです。
梶井基次郎『Kの昇天』(1926年)の冒頭近く。海で溺れ死んだK君について、満月の夜の浜辺で彼と出会った「私」が手紙で語り始める。死を「月世界へ行った」と受けとめる不思議な一言が、影と魂をめぐる幻想の入口になる。
桜の樹の下には
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
「屍体が埋まっている」と言い切る衝撃の一行。桜の美しさの底にある不安を凝視した、梶井の鮮烈な散文詩。
おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
冒頭の一行に続いて、桜の美しさが不安を呼ぶ理由を「俺」が明かす一節。生と死、美と腐敗とを結びつける想像が、満開の桜のイメージを一変させる。
愛撫
猫の耳というものはまことに可笑しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪らなかった。これは残酷な空想だろうか?
梶井基次郎『愛撫』(1930年)の書き出し。猫の耳の手ざわりを、竹の子の皮にたとえて細かく言い当てる。切符切りでパチンとやりたいという奇妙な空想へ飛ぶところに、梶井の感覚の鋭さとユーモアがある。