愛撫(梶井基次郎)のあらすじ・登場人物
猫の耳への奇妙な偏執
- 心理
- 文字数
- 2,851字
- 読了目安
- 約6分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
梶井基次郎が1930年(昭和5年)、「詩・現実」に発表した短編小説。「猫の耳」という、薄べったくて冷たい一種特別な物質への、幼いころからの奇妙な偏執をめぐる、幻想的で倒錯した掌編である。猫の耳を「切符切り」でパチンとやってみたいという残酷な空想や、猫の手で作った化粧道具の話をたどりながら、小さな生きものへの偏愛と、そこにひそむ官能と残酷の幻想を、梶井が鋭敏な感覚でとらえた一編である。
あらすじ
猫の耳というものは、まことに可笑しなものだ――薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のような、なんともいえない一種特別の物質。「私」は子どものころから、猫の耳を「切符切り」でパチンとやってみたくてたまらなかった。残酷な空想かもしれないが、それは猫の耳のもつ不可思議な示唆力によるのだ、と「私」は言う。分別のついた大人になってなお、その児戯めいた空想は執念深く生き延びている。あるいは、猫の手で作った化粧道具の話。ある女が持っていた、猫の前足でこしらえたという奇妙な化粧刷毛――その残酷さと無神経さに、「私」は舌を巻く。そんな幻想的で倒錯した想念をたどりながら、「私」は仔猫を顔の上に抱きあげ、その柔らかく温かい蹠を、そっと自分の疲れた眼蓋にあてがう。この世のものでない、しみじみとした休息が伝わってくる。「仔猫よ! 後生だから、しばらく踏み外さないでいろよ。お前はすぐ爪を立てるのだから」――猫という小さな生きものへの偏愛と、そこにひそむ官能と残酷の幻想を、梶井が鋭敏な感覚でとらえた掌編である。
登場人物
- 私 猫、とりわけ猫の耳や手(蹠)に偏執的な愛着と幻想を抱く語り手。仔猫を眼蓋にあてがい、この世ならぬ休息を覚える
冒頭部(原文より)
猫の耳というものはまことに可笑しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪らなかった。これは残酷な空想だろうか?
「愛撫」梶井基次郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
私はゴロッと仰向きに寝転んで、猫を顔の上へあげて来る。二本の前足を掴んで来て、柔らかいその蹠を、一つずつ私の眼蓋にあてがう。快い猫の重量。温かいその蹠。私の疲れた眼球には、しみじみとした、この世のものでない休息が伝わって来る。 仔猫よ! 後生だから、しばらく踏み外さないでいろよ。お前はすぐ爪を立てるのだから。
「愛撫」梶井基次郎(青空文庫)
名文
猫の耳というものはまことに可笑しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪らなかった。これは残酷な空想だろうか?
梶井基次郎『愛撫』(1930年)の書き出し。猫の耳の手ざわりを、竹の子の皮にたとえて細かく言い当てる。切符切りでパチンとやりたいという奇妙な空想へ飛ぶところに、梶井の感覚の鋭さとユーモアがある。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。