路上(梶井基次郎)のあらすじ・登場人物
崖の近道と雨あがりの赤土
- 心理
- 文字数
- 3,848字
- 読了目安
- 約8分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1925(大正14)年10月、同人誌「青空」に発表された梶井基次郎の短編。郊外から電車で学校へ通う「自分」が、いつもとは別の停留所からも家へ帰れる道を見つけたことから話が始まる。単線の電車が往復する閑散な沿線、窓から見える家々の内部、冬に富士を眺めた坂の上の空地など、通い慣れた土地のなかに旅情を見出していく様子が描かれる。前半の穏やかな散策と、後半のある雨あがりの日の小さな出来事とで組み立てられた、短い作品である。
あらすじ
卯の花の咲く頃、「自分」は学校の帰りに、いつものM停留所ではなくE停留所からでも家へ帰れる道を見つける。単線の電車が往復する閑散な沿線には家々の内部が見え、二本のうつぎが咲いている。冬のあいだ富士を眺めた坂の上の空地から、ある日曜、訪ねてきた友人と一段上の崖を登って近道を見つけ、それからはその道を通うようになった。ある雨あがりの午後、赤土のぬかるんだ崖の近道を下りようとして、自分は足を滑らせ、泥まみれになる。引き返しもせず、今度はスキーのように滑り下りようとして、石垣から飛び下りなければならない危険に気づきながら止まることもできず、石垣の鼻で靴が自然に止まる。下にはテニスコートのローラーが転がっていた。誰か見ていなかったかと見回しても人影はなく、魅せられたように滑ってきた自分が恐ろしく、破滅というものの一つの姿を見たような気がする。帰り道、自分は書かないではいられないと深く思い、家で鞄を開けると、入りそうにもない泥の固まりが一つ入って本を汚していた。
登場人物
- 自分 郊外から電車で学校へ通う学生。新しい帰り道を見つける
- 友人 日曜に訪ねてきて、自分と崖の近道を見つける
冒頭部(原文より)
自分がその道を見つけたのは卯の花の咲く時分であった。 Eの停留所からでも帰ることができる。しかもM停留所からの距離とさして違わないという発見は大層自分を喜ばせた。変化を喜ぶ心と、も一つは友人の許へ行くのにMからだと大変大廻りになる電車が、Eからだと比較にならないほど近かったからだった。ある日の帰途気まぐれに自分はEで電車を降り、あらましの見当と思う方角へ歩いて見た。しばらく歩いているうちに、なんだか知っているような道へ出て来たわいと思った。気がついてみると、それはいつも自分がMの停留所へ歩いてゆく道へつながって行くところなのであった。小心翼々と言ったようなその瞬間までの自分の歩き振りが非道く滑稽に思えた。そして自分は三度に二度というふうにその道を通るようになった。
「路上」梶井基次郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
自分、自分の意識というもの、そして世界というものが、焦点を外れて泳ぎ出して行くような気持に自分は捕らえられた。笑っていてもかまわない。誰か見てはいなかったかしらと二度目にあたりを見廻したときの廓寥とした淋しさを自分は思い出した。 帰途、書かないではいられないと、自分は何故か深く思った。それが、滑ったことを書かねばいられないという気持か、小説を書くことによってこの自己を語らないではいられないという気持か、自分には判然しなかった。おそらくはその両方を思っていたのだった。 帰って鞄を開けて見たら、どこから入ったのか、入りそうにも思えない泥の固りが一つ入っていて、本を汚していた。
「路上」梶井基次郎(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。