大導寺信輔の半生――或精神的風景画――(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
本に育てられた少年の記憶
- 青春
- 心理
- 文字数
- 12,617字
- 読了目安
- 約25分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
芥川龍之介の中編。本所の下町に育った大導寺信輔の少年期から青年期までを、「本所」「牛乳」「貧困」「学校」「本」「友だち」の六つの章で綴る。母の乳を知らない恥、中流下層の貧しさへの憎悪、教師や友との関係、本に導かれた人生観が、「或精神的風景画」の副題どおり、風景や場面の記憶として並べられる。作者自身の生い立ちと重なる点の多い自伝的な作品とされる。「中央公論」1925(大正14)年1月号に発表、末尾に「以下続出」とある。
あらすじ
大導寺信輔は本所の回向院の近くに生まれ、泥濘と大溝のある寂しい町を愛して育った。母の乳を知らず牛乳で育ったことを秘密の恥とし、それを隠すために友だちのどんな挑戦も受けて立つ少年だった。家は退職官吏の恩給で暮らす中流下層の貧しさで、体裁を繕うための偽りに満ちており、信輔は貧困と、それを憎む自分自身さえ憎んだ。学校は、貧困から抜け出す唯一の手段として通りぬけたが、操行点の低い彼にとって中学は教師の暴君ぶりに苦しむ場所でもあった。本への情熱は小学生のころ、水滸伝から始まる。図書館や貸本屋、古本屋を渡り歩きながら、彼は人生も自然も女の美しさも、まず本の中で知った。友だちは才能の有無を問わずに作れず、頭脳をもつ相手との論戦を愛したが、上流階級の青年にはどこか他人らしい憎悪を感じた。江の島の崖で、男爵の長男が海女に向かって銅貨を投げる残酷な姿を、彼は今も覚えている。
冒頭部(原文より)
大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だった。彼の記憶に残っているものに美しい町は一つもなかった。美しい家も一つもなかった。殊に彼の家のまわりは穴蔵大工だの駄菓子屋だの古道具屋だのばかりだった。それ等の家々に面した道も泥濘の絶えたことは一度もなかった。おまけに又その道の突き当りはお竹倉の大溝だった。南京藻の浮かんだ大溝はいつも悪臭を放っていた。彼は勿論こう言う町々に憂欝を感ぜずにはいられなかった。しかし又、本所以外の町々は更に彼には不快だった。しもた家の多い山の手を始め小綺麗な商店の軒を並べた、江戸伝来の下町も何か彼を圧迫した。彼は本郷や日本橋よりも寧ろ寂しい本所を――回向院を、駒止め橋を、横網を、割り下水を、榛の木馬場を、お竹倉の大溝を愛した。それは或は愛よりも憐みに近いものだったかも知れない。
「大導寺信輔の半生――或精神的風景画――」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
或風の寒い四月の午後、高等学校の生徒だった彼は彼等の一人、――或男爵の長男と江の島の崖の上に佇んでいた。目の下はすぐに荒磯だった。彼等は「潜り」の少年たちの為に何枚かの銅貨を投げてやった。少年たちは銅貨の落ちる度にぽんぽん海の中へ跳りこんだ。しかし一人海女だけは崖の下に焚いた芥火の前に笑って眺めているばかりだった。 「今度はあいつも飛びこませてやる。」 彼の友だちは一枚の銅貨を巻煙草の箱の銀紙に包んだ。それから体を反らせたと思うと、精一ぱい銅貨を投げ飛ばした。銅貨はきらきら光りながら、風の高い浪の向うへ落ちた。するともう海女はその時にはまっ先に海へ飛びこんでいた。信輔は未だにありありと口もとに残酷な微笑を浮べた彼の友だちを覚えている。彼の友だちは人並み以上に語学の才能を具えていた。しかし又確かに人並み以上に鋭い犬歯をも具えていた。…………
「大導寺信輔の半生――或精神的風景画――」芥川龍之介(青空文庫)
名文
大導寺信輔の生まれたのは本所の回向院の近所だった。彼の記憶に残っているものに美しい町は一つもなかった。美しい家も一つもなかった。
第一章「本所」の書き出し。信輔の少年時代を、美しいもののない下町の記憶から語りはじめる。
信輔は全然母の乳を吸ったことのない少年だった。
第二章「牛乳」の冒頭。母の乳を知らずに育ったことを一生の秘密として恥じる、信輔の内面の出発点となる一文。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。