谷崎潤一郎氏(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
赤い襟飾りをめぐる論争
- 風刺
- 文字数
- 899字
- 読了目安
- 約2分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 東京都
この作品について
初夏の午後、谷崎潤一郎と神田をひやかしに出かけた芥川が、谷崎の結んでいた赤い襟飾りをめぐって書いた掌篇。すれ違う人が皆その顔をじろじろ見るのは襟飾りのせいだと芥川が言えば、谷崎は君の道行きのせいだと譲らない。カフェの女給の一言が決着をつけたとき、芥川は五十銭のチップを惜しまなかった——短いなかに二人の作家の気質の違いが鮮やかに写しとられている。
あらすじ
ある初夏の午後、僕は谷崎氏と神田をひやかしに出かけた。谷崎氏はその日も黒背広に赤い襟飾りを結んでいる。僕はこの壮大な襟飾りに象徴されたロマンティシズムを感じたが、そう思ったのは僕ばかりではないらしく、往来の人は男女を問わず、すれ違うたびに谷崎氏の顔をじろじろ見ないものは一人もなかった。ところが谷崎氏はその事実を認めない。あれは君を見るんだよ、そんな道行きなんぞ着ているから、というのである。なるほど僕は夏外套の代わりに親父の道行きを借りていた。しかし道行きは茶の湯の師匠も菩提寺の和尚も着るものであって、衆俗の目を驚かすことにかけては、一輪の紅薔薇に似た非凡なる襟飾りに及ぶはずがない。だが谷崎氏は僕のようにロジックを尊敬しない詩人だから、僕も強いてこの真理を呑みこませようとは思わなかった。……やがて二人は裏神保町のカフェに腰を下ろす。炭酸水を待つあいだも、僕は谷崎氏の喉もとに燃えたロマンティシズムの烽火を眺めていた。そこへ白粉の剥げた女給がコップを両手に近づいてきて、テーブルに片手を残したまま、しげしげと谷崎氏の胸を覗きこんだのである。
登場人物
- 僕(芥川) 親父の道行きを借りて神田を歩く
- 谷崎氏(谷崎潤一郎) 黒背広に赤い襟飾りを結んだ先輩作家
- 女給 裏神保町のカフェで炭酸水を運んでくる
冒頭部(原文より)
僕は或初夏の午後、谷崎氏と神田をひやかしに出かけた。谷崎氏はその日も黒背広に赤い襟飾りを結んでゐた。僕はこの壮大なる襟飾りに、象徴せられたるロマンティシズムを感じた。尤もこれは僕ばかりではない。往来の人も男女を問はず、僕と同じ印象を受けたのであらう。すれ違ふ度に谷崎氏の顔をじろじろ見ないものは一人もなかつた。
「谷崎潤一郎氏」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
僕はこの先輩の冷笑にも羞ぢず、皺だらけの札を女給へ渡した。女給は何も僕等の為に炭酸水を運んだばかりではない。又実に僕の為には赤い襟飾りに関する真理を天下に挙揚してくれたのである。僕はまだこの時の五十銭位誠意のあるティップをやつたことはない。
「谷崎潤一郎氏」芥川龍之介(青空文庫)
原文を読む
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