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無名作家の日記(菊池寛)のあらすじ・登場人物

ただ一人取り残される

  • 青春
  • 心理

菊池寛 1918年(大正7年) 「中央公論」

文字数
21,441字
読了目安
約43分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 京都府

この作品について

京都の大学へ移った文学青年・富井が、東京に残した友人たちの活躍に灼かれながら綴る日記。同人雑誌を出し、次々と世に認められていく山野や桑田に対する嫉妬と焦燥、そしてそれを恥じる気持ちまでが容赦なく書きつけられる。山野のモデルは芥川龍之介、桑田は久米正雄といわれ、菊池寛自身の京都時代の鬱屈が下敷きにある。作者を一躍文壇に押し出した出世作。

あらすじ

九月、富井は東京を離れて京都の文科へ移る。研究室の蔵書にも京都の水にも満足しながら、心の底には自分に作家としての天分があるのかという不安が居座っている。東京に残した山野や桑田は才気に満ち、彼らから受ける圧迫に耐えられなかったことが、京都へ来た本当の理由でもあった。年の暮れ、山野から同人雑誌を出すという手紙が届く。そこには富井を誘う文句はどこにもなく、彼はそれを悪意の挑戦と受け取り、独力で打って出ようと戯曲「夜の脅威」を書き上げて中田博士に託す。しかし博士は三カ月経っても一枚も読んでいない。やがて出た同人雑誌の巻頭に載った山野の小説は、読むまいとする富井を押し切って引きこむ出来映えで、新聞の文芸欄は次々とそれを激賞し、ついに山野は中央の大雑誌に登場する。富井が七枚の小品を小雑誌に載せてもらうと、千五百枚の長篇を書き続けている同級生の佐竹が、急にその雑誌そのものを罵倒しはじめた。自分と同じ焦りがそこにもあると富井は気づく。やがて山野から親切めいた手紙が来て、喜んで送った「夜の脅威」は、同人たちの酷評とともに突き返された。二年半後、同人雑誌は廃刊したが同人たちは作家として立ち、富井にはもう競争心も嫉妬も起こらない。学校を出たら田舎の教師になり、平凡人としての平和な生活に入るのだと彼は書きつける。

登場人物

冒頭部(原文より)

九月十三日。  とうとう京都へ来た。山野や桑田は、俺が彼らの圧迫に堪らなくなって、京都へ来たのだと思うかも知れない。が、どう思われたって構うものか。俺はなるべく、彼らのことを考えないようにするのだ。  今日初めて、文科の研究室を見た。思いのほかにいい本がある。蚕が桑の葉を貪るように、片端から読破してやるのだ。研究という点においては、決して東京の連中に負けはしないと、俺はあの研究室を見た時に、まったく心丈夫に思った。  その上に、俺は京都そのものが気に入った。ことに今日、大学の前を通っていると、清麗な水が淙々たる音を立てて、流れ下っている小溝に、白河の山から流れてきたらしい真赤な木の実が、いくつも流れ下っているのを見た。東京の街頭などでは、夢にも見られないような、その新鮮な情景が、俺の心を初秋の京都にひきつけてしまった。俺は京都が好きになった。京都へ来たことは決して後悔はしない。

「無名作家の日記」菊池寛(青空文庫)

末尾部(原文より)

流行作家! 新進作家! 俺は、そんな空虚の名称に憧れていたのが、この頃では、少し恥かしい。明治、大正の文壇で名作として残るものが、一体いくらあると思うのだ。俺は、いつかアナトール・フランスの作品を読んでいると、こんなことを書いてあるのを見出した。 (太陽の熱がだんだん冷却すると、地球も従って冷却し、ついには人間が死に絶えてしまう。が、地中に住んでいる蚯蚓は、案外生き延びるかも知れない。そうするとシェークスピアの戯曲や、ミケランジェロの彫刻は蚯蚓にわらわれるかも知れない)なんという痛快な皮肉だろう。天才の作品だっていつかは蚯蚓にわらわれるのだ。まして山野なんかの作品は今十年もすれば、蚯蚓にだってわらわれなくなるんだ。

「無名作家の日記」菊池寛(青空文庫)

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