蘭学事始(菊池寛)のあらすじ・登場人物
玄白と良沢、蘭学夜明けの二人
- 歴史
- 文字数
- 15,563字
- 読了目安
- 約31分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
菊池寛の歴史短編。杉田玄白が晩年に蘭学草創の思い出を記した同名の回想録に材を取り、『解体新書』の翻訳に挑んだ杉田玄白と前野良沢の二人を描く。江戸に滞在するオランダ商館長の宿・長崎屋に通う蘭方医の玄白は、篤学で知られながら人を寄せつけない良沢に、反感とも気後れともつかない感情を抱いていた。千住骨ヶ原での腑分け、オランダ語の辞書もないまま「フルヘッヘンド」の一語に一日を費やす翻訳の苦闘といった、蘭学事始でよく知られた挿話を、二人の心理の綾を軸に組み直している。人物の内面を明快に分析する菊池寛らしい筆致で、学問に向き合う姿勢の違いを浮かび上がらせた作品である。
あらすじ
小浜藩の医官・杉田玄白は、オランダ商館長の滞在する江戸本石町の長崎屋に通い、蘭学を志す人々と交わっていた。その座で、中津藩の医官・前野良沢だけは愚問を発する一座を冷然と見下ろし、玄白は良沢に妙な威圧を感じて親しめずにいた。ある日、オランダの文字が異国の者にも読めるものかと大通詞の西善三郎に問うた玄白は、到底無理だから諦めよと諭されて引き下がる。ところが黙って聞いていた良沢は、同じ人間の作った書物が読めぬ道理はない、後に来る者のために倒れるまで努めると言い放ち、玄白は恥じ入りながらも不快を覚えた。まもなく玄白は、藩の家老の助けで、精緻な人体図の入った解剖書ターヘル・アナトミアを手に入れる。三月三日、千住骨ヶ原で腑分けがあるとの知らせが届き、玄白は良沢を除け者にしたい気持ちと戦ったすえ、良沢にも知らせを送った。翌朝、刑場の詰所で玄白が自分の本を披露しようとした矢先、良沢が長崎で求めたという同じ版の本を取り出し、玄白の最後の誇りはくじかれる。だが腑分けで現れた臓腑は蘭書の図と寸分違わず、感激した四人は帰り道、この書を翻訳しようと誓い合った。翌日から良沢の家に集まった彼らは、辞書もないまま「眉とは目の上に生じたる毛なり」の一句に二日を費やし、「フルヘッヘンド」を「堆し」と解いて涙を流す。一年余りで翻訳は進んだが、一日も早く実用に供したい玄白と、語義を究めずに先へ進むことを許さない良沢との溝は深まっていった。四年後、玄白は自分の名で『解体新書』の出版を決意し、良沢に序文を頼むが、名聞のために学問を志したのではないという誓いを理由に断られる。玄白は良沢を尊敬しつつも自分の道を肯定し、のちに、良沢がいなければ蘭学の道は開けず、自分のような大略の者がいなければこれほど早くは開けなかったと書き記した。
登場人物
- 杉田玄白 小浜藩の医官。オランダ流の医術を志し、ターヘル・アナトミアの翻訳に取り組む
- 前野良沢 中津藩の医官。篤学で知られ、蘭学の大成を志す孤高の人物
- 中川淳庵 小浜藩の医師。腑分けの知らせをもたらし、翻訳に加わる
- 小杉玄適 蘭方を志す医師。腑分けに立ち会う
- 西善三郎 長崎の大通詞。オランダ語を学ぶ難しさを説く
- 平賀源内 長崎屋に出入りする奇才
冒頭部(原文より)
杉田玄白が、新大橋の中邸を出て、本石町三丁目の長崎屋源右衛門方へ着いたのは、巳刻を少し回ったばかりだった。 が、顔馴染みの番頭に案内されて、通辞、西善三郎の部屋へ通って見ると、昨日と同じように、良沢はもうとっくに来たと見え、悠然と座り込んでいた。
「蘭学事始」菊池寛(青空文庫)
末尾部(原文より)
梵訳の四十二章経も、ようやく今の一切経に及べり。これが、翁が、その頃よりの宿志にして企望せしところなり。世に良沢という人なくば、この道開くべからず。されど翁のごとき、素意大略の人なければ、この道かく速かに開くべからず、是もまた天助なるべし」
「蘭学事始」菊池寛(青空文庫)
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