半七捕物帳 あま酒売(岡本綺堂)のあらすじ・登場人物
逢魔が時の甘酒売りの婆
- ミステリ
- 歴史
- 文字数
- 16,805字
- 読了目安
- 約34分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
岡本綺堂「半七捕物帳」の一編。秋雨の夜、怪談をせがむ「わたし」に、半七老人は「本当のことはよく判らない」と断ったうえで、安政四年の春の変わった話を語る。夕暮れの逢魔が時になると、白髪を手拭で包んだ七十過ぎらしい老婆が「あま酒の固練り」と呼びながら江戸の町に現れ、すれ違った者のなかには大熱を出し、蛇のように身をくねらせて這い回る奇病にかかる者が出る。人々は老婆を蛇の化身と恐れ、八丁堀の同心は切支丹の邪法を疑って半七に探索を命じる。江戸の町に広がる流言と迷信、地方に伝わる不思議な言い伝えを背景に、謎解きだけでは割り切れない怪奇の色が濃い一編である。
あらすじ
安政四年の春、夕暮れになると江戸の町に現れる甘酒売りの老婆とすれ違った者のなかに、大熱を出して蛇のように蒲団の上を這い回り、ときに死ぬ者まで出た。八丁堀同心伊丹文五郎は切支丹の邪法を疑い、半七に探索を命じる。子分の善八と幸次郎が甘酒の問屋を調べるが、老婆は店を変えて仕入れ、住まいはつかめない。大川端で半七は、何か言いたげにあとをつけて来る蒼ざめた若い男に出会う。善八の聞き込みで、浅草馬道の質屋河内屋の女中お熊が老婆につけられて逃げ帰り、裏口を覗いた老婆を追い払った番頭と小僧が奇病で寝込んだとわかる。お熊を世話したのは小間物屋の徳三郎だった。雷雨の夕方、河内屋の水口に潜んだ半七は、お熊に「徳さんかえ」と声をかけられる。その夜、お熊が姿を消し、河内屋を覗きに来た甘酒売りの老婆を半七と善八が尾けていると、吉原へ向かう駕籠の武士が飛び出して老婆を斬り倒す。同じころ、幸次郎は荒物屋の二階で、血に染まった短刀を手にした徳三郎と死にかけたお熊を見つけていた。徳三郎によれば、旅商いの途中、九州のある村で、強い感情をこめて睨むだけで相手を熱病にする「蛇神」の血筋の娘お熊と深い仲になり、江戸へ連れ帰った。老婆はお熊の母お綱で、娘を追って江戸まで来ていたのだった。恐れた徳三郎がお熊に国へ帰るよう説くと、お熊は短刀で自らの胸を突いたのだった。武士たちは同じ国の藩士で、藩の外聞を恐れて老婆を斬るよう命じられていた。徳三郎は江戸払いとなり、旅立った先の神奈川で大熱を発して死んだ。
登場人物
- 半七 神田の岡っ引。甘酒売りの老婆の正体を探る
- 伊丹文五郎 八丁堀同心。切支丹の邪法を疑う
- 善八 半七の子分。雷を怖がる
- 幸次郎 半七の子分
- お熊 浅草馬道の質屋河内屋の若い女中。西国の生まれ
- 徳三郎 小間物の担ぎ商いをする若い男
- 利八 河内屋の番頭
冒頭部(原文より)
一 「また怪談ですかえ」と、半七老人は笑った。「時候は秋で、今夜は雨がふる。まったくあつらえ向きに出来ているんですが、こっちにどうもあつらえむきの種がないんですよ。なるほど、今とちがって江戸時代には怪談がたくさんありました。わたくしもいろいろの話をきいていますが、商売の方で手がけた事件に怪談というのは少ないものです。いつかお話した津の国屋だって、大詰へ行くとあれです」
「半七捕物帳 あま酒売」岡本綺堂(青空文庫)
末尾部(原文より)
「これで此の一件も落着しました」と、半七老人はひと息ついた。「こう訳が判ってみると、誰が科人というのでもありません。その時代の習い、武士もこういう事情で斬ったという事であれば、やかましく云うわけにも行きません。わたくしもその事情を察して内分にすることにしましたが、八丁堀の旦那にだけはひと通り報告して置きました。徳三郎はこれぞという科もないんですが、なにしろこいつが女を引っ張り出して来たのがもとで、こんな騒ぎを仕出来したんですから、遠島にもなるべきところを江戸払いで軽く済みました。そうして、もう一度旅へ出るつもりで江戸をはなれますと、神奈川に泊まった晩からまた俄かに大熱を発して、とうとうその宿で藻掻き死にに死んでしまったそうです。とんだ因果で可哀そうなことをしました。それでも徳三郎は本人ですから仕方がないとして、ほかの人達がなぜ祟られたのか判りません。おそらく前にも云ったような理窟で、ふと摺れ違ったりした時に、向うで何か羨ましいとか小癪にさわるとか思って、じっと見つめると、すぐにこっちへ感じてしまうので、向うでは別に祟るというほどの考えはなくとも、自然にこっちが祟られるような事になってしまったのでしょう。なんだか薄気味の悪い話です。一体その蛇神というのはどういうものかよく判りませんが、わたくしの懇意な者に九州の人がありまして、その人の話によりますと、四国の犬神、九州の蛇神、それは昔から名高いものだそうです。嘘のようなお話ですが、彼の地にはまったくこういう不思議の家筋の者があって、ほかの家では決してその家筋のものと縁組などをしなかったといいます。それに就いてまだいろいろな不思議のお話もありますが、まあこのくらいにして置きましょう。むかしはどこの国にもこういう不思議な伝説がたくさんあったのですが、今日ではそんな噂もまったく絶えてしまいました。学者がたに聞かせたら、それも一種の催眠術だとでも云うかも知れませんね」
「半七捕物帳 あま酒売」岡本綺堂(青空文庫)
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