岡本綺堂の名文
岡本綺堂の作品から、よく知られた一節を集めました。
5件
修禅寺物語
あっぱれとの御賞美ははばかりながらおめがね違い、それは夜叉王が一生の不出来。よう御覧じませ。面は死んでおりまする。
頼家の面を讃えられた面作師・夜叉王が、それを一生の不出来と言い切る場面。何度打ち直しても死相が消えなかった面が、物語の行く末を予告する。
神ならでは知ろしめされぬ人の運命、まずわが作にあらわれしは、自然の感応、自然の妙、技芸神に入るとはこのことよ。伊豆の夜叉王、われながらあっぱれ天下一じゃのう。
頼家の最期を知った夜叉王が、面に現れた死相を自らの技の証と悟って笑う。芸に憑かれた職人の凄みが極まる、『修禅寺物語』の名台詞。
番町皿屋敷
もし偽りの恋であつたら、播磨もそちを殺しはせぬ。いつはりならぬ恋を疑はれ、重代の宝を打割つてまで試されては、どうでも赦すことは相成らぬ。
綺堂『番町皿屋敷』で、皿を割って自分の心を試したお菊に、青山播磨が言い渡す言葉。皿惜しさではなく、恋を疑われた怒りが手討ちの理由だと明かされる。
家重代の宝も砕けた。播磨が一生の恋もほろびた。
お菊を井戸に沈めたあと、井戸をのぞいた播磨のつぶやき。亡霊の出ない皿屋敷が、恋を自ら断った男の悲劇として結ばれる。
半七捕物帳 石燈籠
「忘れもしない天保丑年の十二月で、わたくしが十九の年の暮でした」
半七老人が若き日の初手柄を語り始める一言。老人の昔語りで江戸の事件をたどる『半七捕物帳』の趣向が、この短い回想から立ち上がる。